【サポーターの本音】裏側は想像以上に過酷だった。バイロンベイ国際大会の1週間

 




今年もやって良かった。終わった後の達成感と感動は、一言では言い表せない。

ただ正直に言うと、やっている最中は、途中で何度も離脱しようと思ったくらいハードな毎日だった。

それでも「なぜこれをやるのか?」と聞かれれば、こんなことができるのは僕しかいないだろうと思っている。

世界中どこを探しても、1週間仕事を休み、家族は家で留守番させて、46歳の身体に鞭を打ちながら選手の競技をサポートする人なんて、そうはいないはずだ。

その自負が、自分の自己肯定感を爆上げしてくれる。

ボランティア活動は、人や地域コミュニティへの貢献だと言われている。もちろんそれもある。でも僕にとって最も重要なのは、「自分で自分のことを誇りに思えるかどうか」だ。

それがあるからこそ、3年目となる今回も、最初から最後まで走り抜けることができたのだと思う。

もちろん、これは自分一人で達成できたものではない。

アダプティブサーフィン日本代表の一人である藤原智樹選手、そして同じく日本代表の仲間たち。さらに藤原選手をサポートし、ともに戦ったオーストラリア在住のタカたちの存在がなければ、僕がこのサポートに参加することはなかった。本当に感謝しています。

そしてもう一つ、大きな存在への感謝も先に記しておきたい。

バイロンベイの日本人コミュニティの「おかん」的存在、としえさん。そしてその周りにいる温かい日本人の方々。彼らの日々のサポートがなければ、今回のアダプティブサーフィンが大成功に終わることはなかった。

宿の提供、食事の差し入れ、試合会場での応援や手伝いなど、多岐にわたるサポートに心から感謝しています。

今回のブログでは、藤原智樹選手とともに試合に出て戦った僕の視点から、アダプティブサーフィンの現場を記録として残していきたいと思う。




第一章「きっかけ」

今年で3年目となった藤原選手へのサポート。その始まりは、僕のスポンサーであるアラジンサンダルをつないでくれた佐藤まりえさんからの、ちょっとした声かけだった。

「こういう選手がバイロンベイで開催される世界戦に出場するんだけど、サポートやってみない?」といった感じだった。

僕もノリがいいので、「やりまーす」と軽い感じで引き受けた。その時に、サポーターは2人必要とのことだったので、サーフィン仲間のタカにも声をかけたら、「やりまーす」とすぐに返事が返ってきた。それが3年前の話。

この大会期間中は、1週間バイロンベイに泊まり込み、選手たちと一緒に遠征試合に挑む。今年も去年と同じく、現地在住の“おかん”こと、としえさん宅に泊まらせていただいた。

もちろん旦那さんと息子たち(今ではすっかりいい友人)も快く迎えてくれて、彼らのプライベートな空間をシェアしてくれた。





第二章「アダプティブサーフィンとは?そして藤原智樹選手のサポートについて」

アダプティブサーフィンとは、身体に障がいを持つサーファーたちのサーフィンスタイルのこと。アダプティブ=適応するという意味で、それぞれの障がいに合わせて道具やスタンスを工夫しながら楽しむサーフィンだ。

いつか機会があれば、ぜひ実際に観てもらいたい。手や足がない人、目が見えない人たちもサーフィンを楽しんでいる。そんな、信じられないくらい素晴らしいスタイルがアダプティブサーフィンだ。

僕とタカがサポートしているのは、藤原智樹選手。若い頃にサーフィン中の事故で、胸から下の神経が麻痺している状態だ。つまり歩くことも立ち上がることもできないし、体幹が効かないため、少し前のめりになるだけで車椅子から落ちてしまう。




藤原智樹選手は、もともとは健常者のサーファーでコンペティター。プロを目指していた本気のサーファーだ。一緒にサーフィンをして試合に出ていると、その負けん気の強さは今も変わっていないんだろうなと感じる。

体幹が効かない藤原選手のスタイルは、少し大きめのサーフボードの上に腹ばいのまま波に乗るというもの。自分でパドリングやドルフィンスルーができないため、そこを僕とタカがサポートする。

タカは「ピッチャー」として沖からボードを押し、波に乗せる役割。僕は「キャッチャー」としてインサイドで待ち構え、受け取る役割。そして再び一緒にゲッティングアウトして、また沖からスタートする。







第二章 サーフィンするまでの流れ



陸では車椅子で移動する藤原智樹選手。朝、ベッドから起きて車椅子に移るところまでは自分でできるので、サポートはいらない。一緒に朝ごはんを食べて、海へ向かう。車に乗り込む時も、車椅子から助手席までは自分でできる。車椅子は僕らが畳んでトランクに積み込む。

海に着いたら、ウェットスーツに着替えるところからスタート。ここはサポートが必要。車椅子に座ったままなので、時間をかけてゆっくりと行う。サーフボードを出してワックスアップ。海に入る準備ができたら、波が入ってくるギリギリの乾いた砂浜まで車椅子で移動する。藤原選手はライフジャケットを着用。

さて、ここからが最も体力を使うところ。体重70kgの藤原選手をタカと二人で両サイドから持ち上げ、海の中へ入っていく。膝上くらいの深さまで歩いていき、そこで藤原選手を下ろす。

車椅子を日陰に移動させ、サーフボードを少し離れた場所に浮かべる。そこに向かって藤原選手が浮いたまま移動し、なんとか腕の力だけでボードの上に乗り込む。





僕とタカはリーシュコードを右腕に装着し、両足をバンドで固定するなど、藤原選手に合ったスタイルを完成させていく。

準備ができたら、ゲッティングアウト。

ロケーションは、バイロンベイのThe Passという美しいポイントブレイク。波のサイズは胸〜肩くらい。

ボードに寝た状態の藤原選手と一緒にゲッティングアウト。タカが引っ張り、僕が後ろから押す。目の前で波がブレイクしたら、力ずくで波の中に突っ込む。波が大きすぎる時は、僕が藤原選手の上に乗ってドルフィンスルーを試みる。

でも、これはあまり有効ではない。なぜなら藤原選手は浮力の高いサーフボードに加えてライフジャケットも着用しているため、そう簡単には沈まないからだ。





この状況は理屈じゃない。とにかく波が来ないことを祈りながら、全力で泳いで沖へ向かう。何度も波に揉まれ、ひっくり返されながらも、時間をかければ沖まで出られる。

そして無事にラインナップへたどり着いたら、キャッチャーの僕はボディサーフィンで優雅にインサイドへ向かう。波に乗ってくる藤原選手を待ち構えるためだ。

ラインナップでは、ピッチャーのタカと藤原選手がしっかりコミュニケーションを取り、波に乗る。ちょうどボディーボードのようなスタイルで滑ってくる。

インサイドまで来たら、またゲッティングアウト。この流れを繰り返す。

うん、シンプルな流れ。でも、やってみるととんでもなくハード。自分のサーフィンの100倍くらいのスタミナが必要だ。

試合本番はこの流れで行うが、練習ではまた別の工夫もある。キャッチャーの僕が毎回泳いでゲッティングアウトするのは、さすがに消耗が激しすぎる。そこで編み出したのがソフトボード作戦。





僕がソフトボードに乗り、リーシュコードで藤原選手を引っ張ってゲッティングアウト。ラインナップでは僕が奥で波待ちをし、先に波に乗ってから藤原選手をドロップインさせる。そのまま一緒に波に乗って追いかける。

これだと見失うこともないし、ロングライドのあとに数百メートル泳ぐ必要もなくなる。

正直、かなり楽。同じくアメリカチームもソフトボードを使って練習していたので、理にかなっているんだろう。本番でもこのやり方でいいんじゃないの?って思うくらい(笑)

練習時間は約1時間半。ピッチャーのタカは足ヒレだけで泳ぎ続けるので、体力の消耗が激しい。僕もソフトボードに乗っているとはいえ、インサイドからアウトまでのゲッティングアウトで、The Pass特有の強烈なカレントに逆らいながら、でかいセットに巻かれるのを繰り返すので、体力の消耗は半端じゃない。

これが藤原選手のサーフィン。そして、サポートしている僕から見た現場のリアルだ。






第三章 ローカルサポートが絶対的に必要



この大会は世界ツアーの一環で、アメリカ、南米、ハワイ、日本を選手たちが回っている。オーストラリアのNSW州バイロンベイでの開催は、3年前が初めてだった。バイロンベイという街で開催できたことが、ここまで3年連続で続いた成功につながっていると、僕は思った。

この街はすごく特殊で、めちゃくちゃお金持ちが住む一方で、昔からの名残でヒッピー感も残っている。世界各地からバックパッカーが多く訪れ、長期滞在している場所でもある。もちろん日本人も多く住んでいる。同じ海の街でも、ゴールドコーストとはまったく違う雰囲気だ。自然たっぷりで、街の整備もそこまで整っているわけではない。ハリウッド俳優たちが住んでいる街なのに、どこか昔のボロさもあちこちに残っている。





ここに住んでいる人たちはとても温かい。時間に余裕があって、サーフィンが終わってもずっと海にいて、友人たちとゆっくりした時間を過ごしている。そして、外から来ている僕たちに対してもとてもフレンドリーなのが嬉しい。

ここでのキーパーソンは、日本人のとしえさん。今回の記事の最初で「おかん」と表現させてもらったのは、彼女が大阪出身で懐の大きな女性だからだ。僕らが生まれる前からずっとこの街に住んでいて、この街でとしえさんを知らない人はいない。日本人からもオージーからも慕われている、大切な存在だ。

だから海に入っていても、としえさんはありとあらゆる人たちに僕たちを紹介してくれて、みんながウェルカムしてくれる。





そんな方に僕らは温かく迎えてもらい、この1週間、心置きなくアダプティブサーフィンを楽しむことができている。

僕は毎年、としえさん宅で寝泊まりさせてもらっている。最初の年は、まだ知り合って1日目とかだったし、僕自身もサポートの大変さを分かっていなかったから、毎日ゴールドコーストから通う予定だった。往復2時間の距離。できなくはない。でも今振り返ると、そんなハードなことは続けられなかったと思う。

だから選手たちだけでなく、この街の多くの人たちが、サポーターたちに対しても何らかの形で手を差し伸べてくれている。だからこそ、こうして最後までやり切ることができたんだと思っている。






最終章 サポーターの本音



毎年たくさんの人たちに応援していただき、現地でも多くのヘルプをいただきました。僕にとっては、これらすべての出会いと経験が、何にも代えがたい財産になりました。

きっとここまでフルサポートできる人間は他にいないだろう、という自画自賛のもと、自己肯定感も爆上がりしています。関わってくれた皆様、本当にありがとうございました。心から感謝しています。

また来年もやりますか?と聞かれたら、やっぱり答えは「Yes」になると思う。




でも本音を言えば、もっとたくさんの人たちに助けてもらいたい。時間も体力も限りある中で100%使い切るからこそ、そのバックアップになってくれる人がいてくれたら嬉しい。僕とタカが疲れ切らないような環境になればいいなと思っています。

試合会場での応援も嬉しいし、差し入れも本当に助かります。練習に付き合ってくれたらさらに助かるし、食事の提供なんかもめちゃくちゃ嬉しい。

正直、甘えてばかりで申し訳ない気持ちもある。




ただ、このアダプティブサーフィンのサポートを通して気づいたことがある。それは、僕自身もこれまでたくさんの人たちに助けられながら生きてきたということ。

僕はたまたま五体満足で、一人でも生きていける“気がしている”だけで、本当はいろんな場面で多くの人に支えられている。

身体障がいのある選手たちと一緒にいると、「ちょっと手を貸してくれませんか?」と、見知らぬ誰かに声をかけることがよくある。そのたびに、みんな笑顔で助けてくれて、終わるとさっと立ち去っていく。

ああ、助けてって言っていいんだ。恥ずかしいことじゃないんだ。




自分もきっと誰かに助けられているから、誰かを助けたいと思える。こうやって世界は助け合いで回っているんだと気づいた。

だから、助けてほしいときは「助けて」と言う。誰かがそう言っていたら、僕も助ける。

そんな大切なことに気づかせてくれたのが、アダプティブサーフィンのサポートでした。

これを読んでくれた人たちが、少しでもアダプティブサーフィンに興味を持ってくれたり、街で車椅子の方を見かけたときに「段差ありますけど、手伝いましょうか?」と声をかけてくれたら嬉しいです。

2026年、バイロンベイでのアダプティブサーフィンのサポートは大成功に終わりました。そして来年も、きっとまた戻ってきます。その時には、もっと多くのサポーターがいるといいな。みんなでワイワイやりましょう。





そして何度も繰り返しますが、日本代表の選手たち、本当にお疲れ様でした。次のハワイ戦も頑張ってください。

バイロンベイの日本人コミュニティ、最高です。感謝しかありません。またプライベートでも遊びに行くので、一緒にサーフィンしましょう。

長くなりましたが、これがアダプティブサーフィン・サポーターの本音です。

ありがとうございました。














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