投稿

10月, 2015の投稿を表示しています

洗礼で幕を開けたぼくのサーフィンライフ2002年 ~Snapper rocksで岩に激突!?~

イメージ
洗礼を受けた22歳のワーホリ少年  A to Z Australiaのホームページから引っ張って来た海に入る直前の写真 ゴールドコーストに来て、最初にサーフィンした場所はスナッパーロックスだった。 超初心者がいきなり入れるポイントではないけど、たぶん今思えばサーフィンの神様に導かれたんだと勝手に思っている(笑) ブリスベン空港へ到着 オーストラリアに初上陸したのは2002年10月14日の朝。 ブリスベン空港に到着すると、ワーホリエージェントのA to Z AustraliaのSOHさんが迎えに来てくれた。 そして確か数時間後の午前10時半くらいには、スナッパーロックスにいたと思う。 普通なら、日本からの長時間のフライト後なのでリラックスしたいところなのだが、ゴールドコーストではサーフィンをする、と決めていたのでとにかく海に行きたかったのだ。 その日のゴールドコーストは雲一つない真っ青な空が広がっていて、とても暑くて風も強かった日かな。 当時のぼくのレベルは超初心者で、まだ10回も海に入ってなかったんじゃないかとゆう記憶がある。 そんなレベルだったからサーフィンの事は何も分かってなく、ただただ波乗りがしたいってゆう情熱だけで、波乗りの聖地までたどり着いたってゆう感じだった。 そんなぼくは、波のコンディションの事など全く気にならずに、とにかく気持ちが進むまま海に入った。 スナッパーロックスと言えば、ワールドツアーの第一戦が開催される有名なポイントで、初心者がいきなり入るようなところではないはず。 それなのに超初心者だったぼくがズカズカと、あほみたいな顔して入っていったのは、やっぱり若い時の勢いがあったんじゃないかなと、今ならそう思う。 スナッパーロックスで初サーフィン その日のサイズはアタマ位あって、オンショアがビュービューのハードなコンディションだった。 見よう見まねでロックの横からそーっとエントリーしてみたものの、あっとゆうまに左へ流されて行ってアウトには出れなかった。 ビーチを走って戻って来て、同じところからエントリーしてもまた流されてしまうとゆう事態に、頭がカーッとなっていた(笑) 当然だけど、ぼくのパドル力ではカレントに逆らう事な

寄付文化があるオーストラリア

寄付を求められた話 仕事を終えて家に帰ってくると、奥さんが起きて待っていてくれた。 こんな日は娘たちも早く寝ていて、二人でゆっくりな時間が過ごせるのだ。 いつものようにその日にあったことを話していた。 今日はちょっと変わった事があったそうだ。 若い男性二人が突然家に来たらしい。 どうやら寄付を集めてまわっているいるとゆうのだ。 Mission Australiaとゆう団体からやってきたとゆう二人は、オーストラリアに存在する様々な理由のホームレスに対する支援活動をしていて、その為の寄付を募っていると。 サインアップすると月々30ドルからの寄付をすることができ、毎月クレジットカード引き落としになる仕組みとゆう説明を受けたらしい。 突然の訪問者に、いぶかしげな態度で話しを聞いていた奥さんは、やはり一人でポンッと決めれるものではないと判断したようだ。 しかし相手の男性たちもなかなかしぶとくて、まったく諦めてくれる様子がなかったらしい。 「このマーメイドビーチでは、今日もたくさんの人たちがサインアップをして、この団体への寄付を始めてくれたので是非お願いします」と言われ断りにくくなったらしい。 ぼくはその場にいなかったのでこれ以上の細かいやり取りは省くが、これから我が家ではこの団体に、最低金額の毎月30ドルからの寄付をしていくことになった。 家に帰って来たばかりのぼくはこの話を聞いて、騙されたんじゃないかと思ってちょっと気分が良くなかった。 その後数時間に渡って奥さんとしっかり話し合った。 ちょっと強引とも取れる男性たちに対応してしまった事、クレジットカードナンバーを相手に渡したことなど、これまでの生活には無かった出来事なので、ぼく自身も戸惑ってしまった。 「今すぐキャンセルする事もできるよ。」 奥さんからそう言われて、少し安心したぼくは一晩考えることにした。 寄付をする。 日本にいた頃は思いっきり偽善な気がして、絶対にそんな事をする気は起きなかった。 でもオーストラリアにきて周りを見渡すと、ここでは寄付の文化がしっかりと根付いてるように感じた。 ぼくが働いているホテルでも頻繁にチャリティーイベントが行われていて、毎回多くの寄付金を集めれてい

海に入ると気分が晴れる

イメージ
今朝は小波。 8時頃にリオと波チェックに行った。 その時は風が吹いてなかったんだけど、見た感じでは潮がちょっと上げてて、割れにくい感じだった。 最近のぼくだったら海に入らないで家でのんびりするんだけど、なんかだらけてきてる気がするのが嫌で、思い切って入ってみた。 やっぱ仕事が忙しいとゆう言い訳は、年齢を重ねるとともに海に入らない様になってくるなぁ。 入ってみると意外といい波が来てて、2アクション位入ってインサイドまで繋がっていた。 フローターが得意なヤスも入ってきたし、なんか楽しかった。 満潮なのに流れが強かったから、もしかしたら夕方位にはサイズアップするのかもしれないから、ちょっと気にしておこうかな。 やっぱ海に入ると気分爽快になるね。 だらけた体にムチを打って、明日からまたどんなコンディションでもとりあえず海に入るようにしようかな。 その為にゴールドコーストに住んでるんやしね。 Have a fun surf.

次のスーシェフには日本人が!?

今のホテルで働き始めて3年目に入った。 ぼくはずっと日本食でやってきたので、この西洋キッチンに入ったばかりの頃は戸惑いまくりだった。 そしてそんな何も知らなかったぼくを見下してた奴らがいっぱいいたのだが、みんな辞めて行った。 他のホテルに移った人、シェフ自体を辞めた人、フードビジネスを買って独立した人、旅に出た人、そんなみんながいなくなって正直ホッとしてる面もあるし、あの頃にボロカス鍛えられて良かったとも思っている。 先月の事。 ぼくが入社した当時から厳しく指導していただき、いつも可愛がってくれていたSous chefが他のホテルのヘッドシェフに就任していった。 現在マントラレジェンズホテルは、No2のシェフ不在のままである。 ぼくの経験上、日本人の職場環境だと、例え責任者不在でも日常業務にそれほど差支えることはないと思う。 従業員全員が一致団結して、それまでに教えられてきたことをしっかりと守って、責任をもって働く。 これが日本では当然の姿だと思う。 ところがここでは、面白いくらい目に見えて、シェフたちの気の緩みがわかるのだ。 スーシェフがいた頃はきちんと守られていた、ルーティーン掃除や食品温度表の記録、ストック管理など、どれもじゃまくさいものだし、やらなくてもクビになるものでもない。 でもやらなきゃいけないのに、みんな全然やらなくなった。 日本人なら一度やれと言われたことは、もうやらなくてもいいと言われるまで続けるものだ。 こっちで働いてる奴らは、やれと言われたらやる。しかし次の日に言われなかったらもうやらない。 そしてボスから怒られたら、またやり始める。 次の日にはまた、やらなくなっている。 そんな労働者が多いオーストラリアだが、なんで日本よりも給料が多いのか全く理解に苦しむところだ。 そしてそんな考えを持つぼくの事を評価してくれているのはエグゼクティブシェフなのだが、誰かシェフが抜ける話が出ると、必ず日本人シェフを探してくれと言われる。 残念ながら当てがなく、これまで一人も紹介してこなかったのだが、ぜひとも日本人シェフに入ってほしいと願っている。 同じく移民である他のシェフからも、日本人シェフはいないかと尋ねられたがその時はこう答えた。 「他

この量販店め!安くても買いたくないわ!

コンタクトレンズ付けっぱなし事件から数日が過ぎ、白目と黒目の境目にできていた斑点は、ちょっとずつ小さくなり回復に向かっている。 オプトメトリストのジョンの言いつけをしっかりと守り、コンタクトレンズの着用は自粛して、仕事中もメガネを使っている。 このメガネ。 ワーホリでオーストラリアに来る直前に作ったやつだから、もう14年戦士なのだ。 傷もいっぱい入ってて、度数もちょっと合ってない。 奥さんも視力が弱くて、普段はコンタクトレンズを使ってるのだが、これを機に二人でメガネを新調しようかとゆうことになった。 まずぼくは、Burleigh headsにあるBoyce Optometryでメガネを探してみた。 ここはコンタクトレンズを買うために昔から通っているので、すっかり顔なじみ。 ショップの中も静かで綺麗なので、めっちゃ落ち着く。 ショップ内のディスプレイにある、それほど数多くない中から探していると、いきなりしっくりくるのが見つかった。 自分でも似合ってると思ったのだが、金額を聞いてビックリ。 レンズもフレームも込みで$700って言われて半笑いしてしまった(笑) サーフボード買えるがな。。 奥さんにそれを話すと、もうすでにリーズナブルなメガネショップを発見したみたいで、別の日にそっちの方に行ってみることにした。 パックフェアーに入っているSpec saverとゆうメガネ屋は、テレビでもCMが流れている安売りのお店だ。 店員さんは若い金髪のおねぇちゃんばっかりで、なんか華やかな雰囲気だった。 しかし来店客が多いせいか、ディスプレイのメガネが汚い。。。 そこのシステムはなかなかお得で、$199から$299の価格帯の中から二つ選んでも同じ金額とゆうことだったから、奥さんと一つづつ選ぶことにした。 ちょっと面倒だったけど、購入するには、視力を測定して検査もしなきゃいけないとゆうことですぐにやってもらうことにした。 奥からのそっと現れたオプトメトリストは、インド人のおねぇさんだった。 ぼくの職場にもインド人がいっぱいいるから慣れてるぞー! アレルギー無しで接しれるぞ~! なんて勝手に盛り上がってたのだが、そんなに甘くはない。

バックトゥー The サーフィンライフ

イメージ
雨の日もあれば風の日もある。 ぼくも昔は浮き沈むが激しかったけど、いつのまにか穏やかに過ごせるようになってきたなぁ。 晴れた時は気分がいいから何をやっても上手くいくけど、そうじゃない時でもそれをしっかり受け止めて、自分を見失わない様にしないとあかんねぇ。 それにどんな環境でもそれをポジティブに受け止めて、自分の基本的なスタンスをしっかり保つのが自分らしく生きる上で大切な事なんじゃないかなぁ。 そんな事を考えていた今朝の目覚めは最高に良く、仕事の疲れも、サーフィンの疲れも一晩で無くなったようで、身体がめっちゃ軽かった。 昨日はしんどすぎて仕事にならなかったもんなぁ。 来週末まで休みがないから、頑張らないとあかん。 さてさて、今朝は風も弱くて穏やかな天気。 次女のマリを連れて波チェックに行ってみたのだが、波の方はどうもしっくりこない感じ。 小さいながらもうねりは入って来てるのだが、潮が多すぎて波が割れてない。 そう言えば満潮は6時半だった。 今日はお昼からのシフトなので、もう少し待ってから波乗りしようかと思う。 これを書いている時点で朝の6時半。 すでに家族はみんな起きていて、奥さんは洗濯機を回している。 娘たちもリビングで走り回っていてせわしない。 早くも一日が始まった。 こんな感じで、ぼくのサーフィンライフはとりあえず元の態勢にもどったようだ。 来週には仕事が忙しくなるのでまた乱れるかもしれないけど、とりあえず基本の態勢に戻るってことを意識するのは大切な事よなぁ。 それじゃあ日課のサーフィンに行ってこようかな。 Have a nice Sunday.

サーフフォトセッション@キャバリタビーチ

イメージ
ついさきほど、フォトグラファーのディランから、金曜日にキャバリタビーチでやったフォトセッションの様子が送られてきた。 全部で549枚とゆうものすごい数の写真の中には、人に自慢したくなるようなショットや、キャンバスにプリントして自分の部屋に飾りたいと思うもの、人に見られたら思わず目を伏せたくなるような恥ずかしい瞬間まで撮られてたりと、たくさんのいい写真があった。 ニュージーランドから遊びに来ていたナリの最終日に、一生の思い出に残るサーフィンができて本当に良かったと思う。 プロのカメラマンにサーフィンの撮影をしてもらうなんて、有名プロサーファーの特権だと思っている人も多いと思うが、ここでは誰でも気軽に撮ってもらえるのだ。 ぼくが最近出会った水中サーフフォトグラファーのディランは、ぼくらのようなそこら辺のフリーサーファーの依頼でも快く承諾してくれて、サーファーのレベルに関係なく、たのしくサーフィンしてる様子を撮ってくれるのだ。 これからしばらくは、この撮ってもらったこの500枚以上の写真の中を眺めながら、お気に入りのショットを探し出そうと思う。 ナリとの思い出が残るようなアルバムを作ったり、孫の代まで残したいようなベストライディングをフレームに入れて飾ったりもしてみようかなっと考え中だ。 今週の金曜日、夜明けと同時に車を走らせてNSWに向かった。 実はこの前日にも友人のアランに撮影してもらってたんだけど、その時はオンショアビュービューで荒れたコンディションの中でサーフィンしたのだから結構大変だった。 そしてそのオンショアであった北寄りの風は、夜になってもなかなか収まる様子がなかったので、 水中撮影の方はキャンセルしたほうがいいんじゃないかとゆう話も出ていた。 しかしなんとか日ごろの行いがいいはずだと思い込んで朝を待ってみたら、風は見事に南にシフトしていた。 ぼくとナリは、自分たちの運周りの良さに高笑いをしながら、カメラマンのディランとの待ち合わせ場所であるキャバリタの丘の上に、車を滑り込ませた。 波のサイズはムネカタくらいで、大きくもなく、小さすぎることもなく、コンディションはクリーンとまではいかなかったが、どちらかとゆうとファンウェーブだった。 実は

コンタクトレンズを付けっぱなしにした結果

なんか目の病気になっちゃった 昨日の夜、ぼくの右目が真っ赤に充血してると、奥さんから指摘を受けた。 実は少し前から違和感を感じていたのが正直なところ。 鏡を覗いて自分の眼をチェックしてみる。 するとあり得ないくらい真っ赤に血走ってて驚いた!(笑) 何かよく見たら黒目の淵に白い斑点が出来ていて、それが何となくちょっと痛い。 ちっちゃい口内炎みたいな。 失明とかしちゃうのかなとか想像し始めてガクブル状態に(笑) 目に何か違和感があるって怖いよね。 ゴールドコーストに来た時からお世話になっている、オプトメトリストを訪ねてきた。 そこはいつも予約でいっぱいなのだが、顔見知りなので忙しい合間を縫ってみてもらったのだ。 やはりぼくの眼には、良くない症状が出ていたようでちょっとショックだった。 アレルギー反応、細菌感染、ケミカルが入り込んだ等々、様々な原因が考えられるらしいのだが、みんな同じ症状がでるみたい。 自分で考えられる原因は、、、 コンタクトレンズをずっと外してない事かな。 3か月分をまとめて購入しているコンタクトレンズ。 One dayタイプなので、もちろん毎日取り換えていた。 最初のうちはポイポイ捨ててたんだけど、だんだん在庫が尽きてくるとなんかもったいなく感じてきて。 そのうち節約体制に入った(笑) 付けっぱなしで寝るのも当たり前になって来て、調子が悪くなれば外せばいいかってな感じで、ズルズルと何日も付けっぱなしにすることが多くなってきた。 その結果。 コンタクトレンズはしばらく使っちゃダメとゆう結果になってしまった。 メガネがあるのだが、これではサーフィンもボクシングも行けないのでキツイ。 仕事もやりにくいだろうから、今日は休んじゃったしね(笑) しばらく裸眼で過ごしてみるのもいいかなぁなんて思ってるけど、視力がのび太くん並に弱いので家の中でもちょっと不便かもなぁ。 これからはコンタクトレンズは正しく使おうと心に決めたよ。

新しいシフトのリズムに身体を合わせる

静かにゆっくりと、平和な時間が流れているゴールドコースト。 本当に10年前まではのんびりダラダラとしていた街なのに、いつのまにか経済が発展し、最近はせわしない街になりつつあるように思える。 競争が始まって来た。 なんかそんな気がするのだが気のせいだろうか? 自分のペースでゆっくりやっていきたいから、ゴールドコーストに住もうと決めたのに。 ぼくが勤めている会社でも変化が激しくて、どんどん規模が大きくなり、人の異動も多くなってきた。 ぼくは入ってから2年間、これまでずっとディナーだけでやってきたのだが、このまま同じことをやっていたのでは自分の評価が上がらないと感じたので、ブレックファーストのシフトを希望して、最近入れてもらうことができた。 朝食はほとんどバッフェだから仕事の内容は簡単なのだが、お客さんの数が100人でも500人でも、シェフ一人でやらなきゃいけないのだ。 せわしない時間を自分でしっかりとタイムマネジメントする能力が必要になるので、新しい挑戦だと思ってたのだが、なんかしんどくなってきた。 なにがしんどいって、朝が早いのだ。 4時半から仕事が始まるので、3時半には起きる。 すると夜は8時か、9時には寝なきゃならなくなり、生活のリズムが変になっちゃった。 お昼過ぎには家に帰ってくるから、サーフィンもボクシングも行き放題と思って喜んでいたのに、8時間も9時間も働いた後では、完全燃焼済みでボケーっとしたい気分になる。 あ~こんなに身体がしんどいとは思わなかったなぁ。 しかしもう、会社のスケジュールでは12月からずーっと朝食担当になるのが決定してしまってるようなので、後には引けない。 自分から言ったものの、この変な生活リズムにちゃんと合わせて行けるか心配になってきた。

【サーフィンレポ】ゴールドコーストでサーフィン三昧を楽しみにやってきた友人をもてなした時。

イメージ
スキルアップで転職の合間にホリデーを取って、ぼくらの友人が遊びに来た。 ニュージーランドに住んでいるナリにとって、ゴールドコーストでサーフィンするのは2年ぶりの夏になる。 以前このストリートに住んでいる時に、同じフラットをシェアしていた兄弟だ。 ぼくもたっぷり溜まっている有休を使って遊ぼうと思ってたのだが、早くも仕事が繁盛期に突入してしまっていて、残念ながらあまり時間が取れなかった。 気心知れた仲とはいえ、十分にもてなすことが出来るか心配だったが、一日目の今日は波にも恵まれていいスタートを切った。 昨日よりもサイズが上がってムネカタくらい。 東うねりがバンバン入って来て、家の前にあるバンクでショルダーの張ったいい波が割れていた。 ナリが持ってきたのはラグランのローカルシェーパーが削ったシングルフィンで、めちゃくちゃかっこよかった。 シェーパーのレイフィンレイはアランバーンの一番弟子らしく、それを聞いただけでなんかワクワクするボードだ。 さっそく入水すると、ニュージーランドでサーフィンをしているナリにとっては水温が高いらしくニコニコ顔。 周りもボードショーツ一枚でサーフしている奴が数人いたけど、ぼくにはまだ少し冷たく感じる。 もうしばらくは、フルスーツを手放せなさそうだ。 一応お客さんを迎えておもてなしをしている立場なので、ファンウェーブだったことにとても安心した。 せっかくサーフトリップに来て波が無かったら寂しいもんねぇ。 そして午後は彼の要望通りにのんびりとする予定だったのが、家の用事であちこちへと連れまわしてしまった。 そして早めの外食を予定してたぼくら。 そろそろ準備をしようかとゆうあたりで、娘のリオを連れてビーチまで写真を撮りに行っていたナリが家に戻って来た。 そこでたまたま、あのスタイリッシュサーファーのヤスに会って、彼がこれからサーフィンするところだと聞いてじっとしていられなくなり、ぼくらも入ることにした。 とゆうかちょっと疲れてそうなナリを引っ張って海に向かった(笑) もうすでにオンショアがビュービューでかなりラフだったのに、こんな時に波乗りするなんてよっぽどハングリーなんやなぁなんて笑っていたが、思ったよりも波に乗れて楽しかった。

【サーフィンレポ】週末、いい波、穏やかな天気。

イメージ
最近ここら辺のビーチが結構いい感じらしい。 ぼくらが引っ越してきたばかりでこれである。 とゆうのも、ぼくが引っ越していく先には、いつもいい波が割れているとゆうパターンがあるのだ。 前のオーシャンストリートの時も、ブロードビーチのファーストアベニューに住んでいた時も、家の前にはいつもいいバンクがあった。 真のサーファーが住むところにはちゃんといい波が割れるようになっているのだ(笑) これって引き寄せの法則??? 今日は少しサイズが上がって、胸位のスーパーファンウェーブだった。 びっくりするくらいの数のサーファーが入っていたが、週末だし、夏が始まっているし。 まぁこんなもんだろう。 ぼく的には水温はまだ低い方だと思う。 ニュースでは22℃とか言ってるけど、実際はもっと低いんじゃないかな。 海の中は全体の3分の1位はボードショーツ一枚で入ってる奴らがいるけど、それを真にウケちゃいけない。 奴らに影響されてウェットスーツを着ないで入水すると速攻でガクブルになる(笑) ぼくは用心深くフルスーツで入っておいたけど、暑くなったりせずに快適だったなぁ。 こんな日は一日中家にいて、サーフィンばっかりするのがゴールドコーストのサーフィンライフ。 しかし今日は仕事なので、ボードを抱えて海に向かうサーファーを羨ましそうに眺めながら、サーファーズパラダイスに向かわなきゃいかん。 週末、いい波、穏やかな天気。 こんな日に仕事が入ってるなんて、どんな引き寄せの法則が適用されているんだろうか。。。 Have a nice weekend.

娘の話しを盗み聞きしてドキッとした時

イメージ
今朝サーフィンから帰ってくると、生後8か月になるマリが迎えに出て来てくれた。 すっかりハイハイをマスターしている彼女は、自分で移動できるようになったのが嬉しいみたいで、キャッキャキャッキャと騒ぎながら動き回っていた。 そしていつもならおねぇちゃんのリオもやってくるのだが、珍しい事にぼくが帰って来ていることに気づいてない様子。 マミーと二人で何か話していたので、ちょっと耳を澄まして盗み聞きしてみた。 どうやらリオは、キンディでの事をマミーに話しているみたいだった。 「ジェナがこわいの」 そう話すリオの声が聞こえて ドキッ とした。 ジェナって確かキンディの先生だ。 奥さんが優しく問いただしてみたようだが、リオもあまり詳しくは説明できないみたいで、理由はよく分からなかった。 リオが黙っているのは寝ている時 とゆうくらい、四六時中しゃべっているのだが、3歳児の会話スキルとしてはこんなもんだと思う。 さてそのジェナとゆう先生。 ぼくは挨拶程度しか接したことがないのだが、若い先生だったような。 先日奥さんとも、「あのジェナって日によって機嫌が良さそうな日と、そうじゃない時がはっきり顔に出てるよね」と話していたところである。 リオの通うキンディは小さくてのんびりしていて、とってもとっても優しい先生たちばかりなので、いつも安心して子供を預けることが出来ている。 英語をあまり話さないリオをオージーとして育てるのではなく、日本人として受け入れてくれていることにとても有り難く思っている。 先生たちからすると言葉の面などで、他のローカルキッズよりもちょっと面倒な時もあると思うが、みんな優しく気長に付き合ってくれているようだ。 たまに、ごく稀にだけど、子供を丁寧に扱えない大人もいるからね。 大丈夫なのは分かってるけど、親として、子供を守るサインはいつも出してるよってゆう、そうゆうお話です。 でもまぁ何にも問題はないのだろうけど、ミニマムな言葉スキルのリオでもそんなことを言うのだから、ちゃんと気に留めとこうかなぁなんて思った朝であった。

母国の人には冷たいスタッフ!?

ぼくはサーファーズパラダイス中心地のホテルで働いている。 そこは観光地のど真ん中だけあって、様々な地域からお客さんがやってくるのだ。 それに合わせるようにホテルで働くスタッフも、多国籍に溢れていて日本で働いていると考えられないような事がよく起きている。 ここではもちろんみんな英語を使うんだけど、それぞれ色んなバックグラウンドがあり、幅広く理解を示せることや、英語力に加えたコミュニケーション能力も必要になってくる。 ぼくは典型的な日本人なのかな。 コミュニケーションを取る上で、これぐらい言わなくても伝わってるかな、だいたい分かってくれるかなぁっと、遠慮がちな態度でいることがよくあるんだけど、全く伝わっておらず損することが多い。 まぁそんな小さな?悩みを抱えつつも、ちゃんと日本人としての誇りを持って働いているのだ。 もちろん他の国の人たちも同じだ。 「自分は○○国から来た。誇り高き戦士だ」 ってくらいのプライドをみんな持っているのだ。 特にキッチンの中では、自分たちの国の食べ物自慢になったりするとめちゃくちゃ熱くなる。 やはり自分の国が一番だと思ってるので、終わりなき議論が繰り広げられることもよくあるのだ。 まぁこうやってインターナショナルなメンバーの中で働くとゆうのは、世界を広く見ているような気がしてすごく楽しい。 現在はぼくの他に、もう一人日本人が働いていてちょっと心強くなってきた。 その人がいないときや、それまでにも時々あったのが日本語のヘルプだ。 英語が話せない日本からのお客さんが困っている時などに、ぼくが通訳として表に出ていくこともたまにある。 基本的にわざわざ人前に出るのは好きじゃないんだけど、誰かが助けを必要としてる時、それが同郷の人間なら是非とも役に立ちたいと思うのが人情であろう。 そうゆう時は二つ返事でOKしている。 また、朝食や夕食のバッフェには日本人がよく来るので、見つけたらちゃんと日本語であいさつをするように心掛けている。 それが日本人であるぼくの役目だと思っているのだ。 ところがぼくのこういった振る舞いには同調しないスタッフもいて、ちょっとショックを受けたことがあった。 まずはコリアンシェフの

海に行ったらノーサーフ。仕事とサーフィンのバランスが崩れ始めた今日この頃。

イメージ
最近仕事が忙しくて、全然サーフィンしてないなぁ なんて言うために、ぼくはここに住んでる訳じゃないのにこの有り様。 お金とゆうのは働けば働くほどいっぱい入ってくるけど、その分サーフィンをする時間が減っていけば人生の満足度はめちゃくちゃ下がるね。 そして今日もホテルは大忙しの日。 「はぁ病欠使ったろか」 なんてことも頭に浮かんだが、やっぱり気まずいので出勤することにする。 ってこんなの当たり前だけど、みんなすーぐ病欠するからね。 何を思ったのか今日のインチャージ(責任者)のシェフが作ったスケジュールでは、ちょっと仕込みの時間が足りないんだけど、、、、 そんなのかんけーねー! ぼくおっぱっぴ~! インチャージのシェフよりも、ぼくのほうがここのホテルが長い。 なのでこのスケジュールのおかしさに気付いてたんだけど、知らないふりしてぼくはゆっくりと出勤することにした。 とゆうことで今朝は、じぶんのサーフィンライフのリズムを取り戻すべく、海に行くことに。 最近は暖かくなってきたなぁなんて思いながら、外へ出ると歩いて3分でビーチに到着! やっぱりここに引っ越してきてよかったなぁとつくづく思った。 しかしまぁなんですな。 自分がサーフィンしたいと思っててもそこに波があるとは限らないからね。 残念ながらノーサーフだった。。。 しょうがないからちょっと早めに出勤しようかな。

日本脱出14年目  ~地元の友人達を思う~

2002年10月14日にゴールドコーストにやってきたので、今日で13年が経った。 ぼくが働いているホテルで日本からのゲストと話していると、必ず聞かれるのが何年ここに住んでいるのかとゆうこと。 ほぼみんなが年数が長いとゆう事で、驚きの表情を見せる。 この間、ブレックファーストをやっている時に、愛想のいい日本のおっちゃんにここは長くいるのかと聞かれた時には、 「朝からのシフトなんで始まって2時間位ですかね。」 とボケてみたがそうゆう質問ではないよ。と諭された。。。 ボケ力は未だに低迷中である。 そしてホテルで働いているスタッフと、同じような会話になった時は、 え?13年も住んでてなんで英語話せないの? とはっきり言われる事が多くて、ちょっと傷つく。。。 確かに13年前にゴールドコーストに到着した瞬間は、ほんの数か月でペラペラになると思ってたのになぁ。 まぁそんなんでも今こうやってローカル企業に勤めれているのだから、英語力ってゆうのはそんなに重要ではないのかもしれないかな。 あ、でもこれから英語力を身に着けたくてオーストラリアに来る若者は、一時間でも多く毎日勉強して、ローカルが使う英語を覚えなきゃいかんよ。 じゃないとこんなおじさんになってしまうからね。。。 さてタイトルの日本脱出について。 地元の友達とは違った人生を送りたいと思ってたぼくは、こっそりと故郷を後にした。 近い友人達には飲み会と、空港まで見送りをしてもらったが、その時のぼくはもうすでに日本に戻らない気でいた。 22歳だったぼくは、自由への扉を開いたような開放感でいっぱいだった。 それからのぼくは、自分一人で人生を切り開いた気になっていたのだから、若いとゆうのは恐ろしいなぁと思う。 世の中の事を何も知らなかったのに、ここに来ただけで何かすごいことをした気になっていたのだから、今思い出すと恥ずかしい(笑) そして最初のうちは地元を振り返ることはなかった。 半年に一度くらいの割合で、日本からの国際電話を受け取ると親友からの電話だった。 「お前やっと電話に出たな。」 その言葉から察するにしょっちゅう掛けてきてくれてたのだろう。 「ところでまだ帰ってけぇへん

いたずら電話は笑えるのか? ~Hamish n Andy~

イメージ
車に乗ってるときにはラジオを聴いているんだけど、そこで耳にしたこんな話。 ぼくがジム帰りにボケーっと聞いてるのがSea FMのHamish n Andyとゆう二人組のやつで、いつもリスナーを適当にからかったりしてふざけている番組だ。 その日はパーソナリティーのハイミッシュが散髪屋に予約を入れるとか言い出して、その場で電話をかけ始めた。 もちろん本番中で、アンディとハイミッシュはとても人気の二人。 なんと正体を明かさなかったうえ、偽名を使って次の日の夕方に予約を入れちゃったのだ。 そしてそのすぐ後に続いて、アンディが同じお店に電話を掛けた。 さっき電話をしたハイミッシュの父親を装って、もちろん偽名を使ってたんだけど予約をキャンセルしたいと相手に伝えた。 電話の向こうの散髪屋のおねぇさんは、素晴らしいビジネスマナーで対応していて、聞いてるこっちがソワソワしてしまうくらい。 アンディもまたハイミッシュと同じように全く悪びれるでもなく、淡々と言葉を繋げていく。 その予約のキャンセルを完了させて切った電話のすぐ後を追いかけるようにハイミッシュがまた掛けた。 そんなことをしたらいたずら電話がばれて、相手が怒っちゃうんじゃないかと思うと申し訳ない気持ちになってきたが、ハイミッシュは躊躇せずにプルプルプルと鳴らしていた。 やっぱり散髪屋のおねぇさんは、とっても愛想良く対応していて、これっぽちもいたずら電話をうたがっていない様子。 ハイミッシュはさっき自分の後に続いて、勝手に予約のキャンセルをしてしまった自分の父親を名乗る男を非難したのち、明日の夕方の予約の時間には必ず行くから気にしないでくれと言って電話を切って大笑いしていた。 どうなるんだろう?とドキドキして聞いていたが、アンディは躊躇しない。 「自分の息子はちっともゆう事を聞かないで、また予約の電話を入れたようだが彼はまだ 9歳なんだ。 いつも家で散髪しているから、やはり予約はキャンセルしておいてくれ。」 と父親役のアンディが言っても、散髪屋のおねぇさんはめちゃくちゃ優しくて気にしてない様子。 何を言われても怒らない日本人か! と思ったけど、クリスティーナって言ってたしオージー

夫婦の価値観はそれぞれ。 ~結婚記念日にスシトレインで喜ぶ!?~

結婚してから5年が経った。 ぼくら夫婦は7歳も年が離れているので、基本的に話題が合わないこともある。 小さい頃から見てきたテレビや、聞いてきた音楽も全然違うとゆうのは、結構なギャップがあったりするものなのだ。 出身地に関してもぼくは関西で、奥さんは関東なので、ノリも噛み合わない事がよくある。 出会った頃に奥さんから、 「テレビを見ててもさんまさんが何を言ってるのかが聞き取れないの。。。」 と言われたのはかなり衝撃的だった。 まるで関西弁がどこか知らない国の言葉かのように聞こえるなんて、どこでどんな風に生きてきたらそんな事になっちゃうんだ?とショックを受けていたが、、、、結婚した。 結婚した理由ってゆうのは、たぶんみんなと同じだと思う。 好きだから。 一緒にいると楽しいから。 まぁこれくらいしか出てこないから、これが本当の理由なんだろう。 それでもまぁ不思議なもので、趣味も笑いのツボも違うのに、今までまぁまぁ順調でやってこれた。 これから先も、まぁまぁこんな感じでいくだろうなぁと思う。 たぶん奥さんも同じように思ってるかな。 それやったらええねんけど。 ぼくらが夫婦としてやっていけてる秘訣とゆうかなんとゆうか、だから一緒におれるんやろなってゆうのがある。 それはぼくらの中に、素晴らしく合う感覚があるからなのだ。 繰り返す毎日を過ごしていくなかで起こる、ちょっとの変化を感じ取ったり、お互いの存在を尊重しながら無理なく高め合いつつも、ささやかな楽しみでさえも人生最大の幸せがやってきたのごとく一緒に楽しめる。 そんな価値観がバッチリと合うのだ。 しかもそんな感覚がお互いにあるのをたまに言葉で確認し合うんだけど、その時もぼくらの間に心地のいい空気が流れてるのを肌で感じてクスクス笑ったりする。 そんな事を繰り返しながら5年が経った。 今日はせっかくの記念日なので、外食しようとゆうことになった。 3歳児と0歳児を連れて行けるところなんて限られてるし、ぼくは朝の4時半から働いた後だったのでフラフラしていた。 そんな過酷な条件を抱えつつも、奥さんの希望はシーフードが食べたいってことだったので、友人が店長を勤めるスシ

家族の中で、次女だけオージー。

オーストラリア生まれ、日本のパスポート 長女は永住権 領事館の窓口で、聞いてきた娘のパスポートの取得について。   ゴールドコーストで生まれた長女のリオは、日本のパスポートを持っているが、オージーのは持っていない。 生まれた時は、ぼくらがまだ永住権を持ってなかったのでビジター扱いだった。 だから市民権も無くて、今はぼくらと同じ永住権を持っている。 リオはこれから先もずっと日本のパスポートでやっていく様な感じだ。 次女はオーストラリア市民権 次女のマリは永住権取得後に生まれたので、オーストラリアの市民権を持っている。 つまりぼくら夫婦と長女のリオは日本人で、後から生まれたマリはオーストラリア人って事になるのだ。   ややこしいなぁ。   で、マリは日本のパスポートが必要かとゆうとそうでもないらしい。オージーとして観光で、日本に 入国 する形になるみたい。 それに、当然ながらマリは永住権を持ってないので、オーストラリアのパスポートが絶対に必要とゆうことになるのだ。 仮に日本のパスポートだけを持ってたとして、オーストラリアから出国しちゃったら、帰国が出来ないらしい。 そうゆうトラブルにだけは合わない様にしなきゃね。 こうゆう問題って色んな情報が回っているから、人によって言う事が違ったりするんだけど、ぼくが今日聞いたのはこんな感じかな。 まぁウチは、マリも日本に戸籍があるので、日本のパスポートも作って、ぼくらと一緒に 帰国 とゆう形にしようと思っている。 次女だけオージーってことになるのか。。。  

失敗から学んだ大切な事

色々あるのが人生よな。 だから楽しい。 なんて言えるのは、たった今の状態が幸せだからだと思う。 ありがたいことやで。 ぼくが自分の中で、至らないなと思う点がある。 それはついつい、過去の辛かった時の事を忘れてしまう事。 いつまでも引きずらない性格なのは、なかなか楽でもあるのだが、ついうっかり忘れてしまいそうになる。 辛かった時に自分を引き上げてくれた人がいてくれた事を忘れそうになるのが、全くもってダメなところだなのだなぁなんて最近思うところだ。 前回、仕事を辞めていく職場のスタッフの話しを書いたが、ほとんどみんながボスの悪口を言って去っていくのだ。 でもぼくはもう、過去にそれを経験していて、やっちゃいけなかったと思っている。 恥ずかしながらぼくは、前の職場を円満退社しなかった。 それと引き換えに手に入れたのは、自分が歩みたいと思ってた人生。 でも失ったのは、それまでに築き上げたそこでの人間関係全て。 最後に、社長のところに挨拶に行った時には、素直に感謝の気持ちが言葉になった。 それともう二度と顔も合わせないとゆうか、お世話にならないとゆう宣言までした。 そうしなきゃいけなかった。 だってぼくはそれまでの恩を仇で返してまで自分のやりたい事を取って、辞めてしまったからだ。 だから、このブログでもどこで働いてたのかを書かないし、引っ越しの時の申し込みにも、過去の職歴を書かなかった。 だからなかなか家が決まらなかったのかな(笑) 何も後悔はしてないけどね。 むしろ辞めて良かったと思ってるけどね。 ただ一つ、その時の経験から学んで、これから先も忘れないようにしようと思ってる事がある。 今の職場で去っていくシェフ達に、必ずぼくが言っていることがある。 それは、ここのボスに雇ってもらった最初の気持ちを忘れないようにしようよ。 仕事が欲しい時は、 何でもする ってゆう気

オージー企業で働く自分の体験談

オーストラリアも意外とキビシイ社会のようだ ずっと憧れていたオーストラリアの現地企業で働き始めて、もうすぐ2年が経つ。 まだまだヒヨッコなので、毎日必死で食らいついてる。 今日は物凄くプレッシャーのかかったVIP Functionを無事に乗り越えれたので、また少し成長出来たような気がしてちょっと嬉しい。 先日こちらに住んでる友人から、オージーの下で働くのは厳しいらしいね。とゆう事を言われた。 その友人の話では、オージー経営のあるジャパレスで働くシェフの事情を聞いてきたらしい。 ローカルでいつも賑わうその店では、仕事の出来ないスタッフはすぐに解雇されてしまうとゆう、厳しさ満点の様子とゆう事だ。 ぼくなら間違いなく1日でクビになるだろうから、これからそのお店に近寄るのすら怖くなってしまう(笑) さてうちのホテルはとゆうと、そのような厳しさはないかなぁと思う。 オーストラリアの労働者に優しい法律でしっかり守られているので、パワハラの元にある不当な理由で解雇されるとゆう事はないのだ。 さすがに会社のルールに違反をすると、警告が出されて、それが数回重なると辞めなきゃいけなくなるとゆう事もあるらしいが、それはよっぽどの事だろう。 それでもぼくが働いているこの2年間で、辞めていったシェフの数は結構多いのだ。 もちろん合う合わないもあると思うけど、中には不本意で離れていってしまった人もいるのが、正直なところかな。 ではハッキリ言ってしまうと。 解雇が出来ないからと言ってスキルの上がらないスタッフに、いつまでも優しい顔をしてくれないのだ。 そしてボスからの当たりが、めちゃくちゃキツくなってくる。 基本的にこの国では、仕事は教わるものじゃなく、自分でなんとかしなきゃいけない。 与えられた仕事を出来なくても誰も助けてくれないし、隙あらば人に仕事を取られてしまう勢いなのだ。 さらに、上からはチクチク言われるのだが、それもかなりストレートに飛んでくる。 これぐらいの事が出来ないと言うなら、他の仕事を探した方が

引っ越し前に確認しておくべき冷蔵庫と洗濯機の収納スペース

イメージ
家をセットアップ中! 新しい所に引っ越ししてきてから一週間が過ぎた。 家の中はすっかり落ち着いてきてる感じだが、表から見えない所までは整理が行き届いておらず、人には見せれない状態だ。 まぁ家族みんな、新しくなった生活を楽しんでいるようで、一家の大黒柱としては一安心と言いたいところだ。 娘のリオは新しいベットを買ってもらって、毎晩嬉しそうに眠りについている。 え〜こんなかわいいベットでねれなぁ〜い! とか言ってたらしいが、ぼくが仕事から帰ると小さな寝息を立てて眠っていた。 引っ越しとは関係ないかもしれないが、次女のマリはつかまり立ちの練習を日々頑張っている。 それぞれ楽しんでいるみたいで本当に良かった。 ぼくと奥さんはとゆうと、ちょっとだけスタックしてしまっているのだ。 ぼくはとゆうと、サーフボードラックを取り付ける暇がなくて、何よりも大切なハズのサーフボードを隅っこにポンっと置いてるだけにしちゃっている。 サーフボードは物じゃないのに〜! とか言いながらも放置プレイしちゃっている。 それとインターネット回線がまだ繋がってなくて、こうやって書いてるブログも、奥さんのiPhoneを借りてやっているとゆう感じで、まだまだ自分のペースが掴みきれてないのだ。 まぁぼくの問題は時間が解決してくれるからいいものの、奥さんの方なんかどうしたらいいのか分からない。 まず、冷蔵庫。 うちのが特別デカイ訳じゃないのに、キッチンに収まらず、しょうがなくリビングに置く羽目になってしまった(笑) 料理中に野菜を取ろうとして振り返っても、そこには冷蔵庫よりも3センチ小さなスペースしかなく、つい笑うしかないような感じだ。 そして洗濯機。 リノベーションされてすぐの、モダンでとても綺麗なバスルームがあって、そこに洗濯機も置くのだか、まさかの入らないとゆう事態に(笑) あと4センチ広かったら入るとゆう状況はとても歯痒いが、入らないものはしょうがない。 シャワールームのガラスに洗濯機が、や

人の不幸は何の味だっけ? ~接触事故を目撃~

人の不幸を見て笑っていると、次は自分の番がやってくるかも知れない。 だからぼくは笑いを嚙み殺しながら、自分はこうならないように気をつけようと、心掛けているのだ(笑) 先日、引っ越し前にバタバタしていたぼくは、車に乗ってホームセンターに向かっていた。 あと少しで到着するとゆうところで、前の車が詰まって動かないとゆう事態に。 何事かと思ったら、ぼくの前を走っていた3台前の車が接触事故を起こしていたのだ。 幸い大事には至らなかったようだが、あと少し早く走っていたら巻き込まれていたかも知れないと思うと、冷や汗がタラ〜っと流れた。 明日は我が身だ気をつけよう!と思ってても、不慮の事故とゆうのは避けれない事もある。 何とゆうことか、次の日にも同じ事が起きた。 今度はゴールドコーストハイウェイを走行中、相当見通しのいいノースバーレー辺りをマーメイドビーチに向かってゆっくり走っていた時だった。 そこでも接触事故が起きてしまい、今度は2台前だったから、まさにギリギリセーフとゆうやつだった。 音楽をガンガンに流してたので音は全く聞こえなかったが、車間をたっぷりとっていたので助かった。 なんかだんだん近づいてきた気がするなぁと思っていたのだが、それもすぐに頭から離れてしまって忘れかけていた。 まさかとは思うが、起こるべき事は避けられないものなのかも知れない。 ワークメイトのショーンが人身事故をやっちゃったと連絡があったのは、仕事のシフトが始まる20分前だった。 今回はぼくの近くで事故が起きた訳ではないが、何だか考えざるを得なかった。 同じ職場、同じ年齢、同じエクストレイル、過去に長期の免停歴ありといった共通点がある。 彼とぼくとでは何が違うかったのか分からないが、少なくともぼくには考えるチャンスがやってきたのがラッキーだと思った。 人の災難の裏でラッキーなんて言うのは不謹慎かも知れないが、気をつけようと思ってても避けられない不慮の事故に遭わないように気をつけなきゃいけないとつくづく考えさせられた。 ぼくが出した考えは、本当に気を