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疲れた心と身体をサーフィンでリフレッシュしてから仕事に行くライフスタイル

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心が整う海 ぼくにとって海はサーフィンをする事がメインだけど、今日は波に乗るだけじゃなくてマインドをリセットしたくて海に入って来た。 波チェックの段階ではそれほどいい波でもなく、変な風も入ってたのでよーく見ないとバンクが見つからないようなコンディションだった。 他にサーファーは誰もいなくてビーチにはショアで遊んでいる人や、ウォーキングをしている人たちがいっぱいいたけど、ぼくは1人でパドルアウトした。 最近仕事が忙しくて、バーンアウト気味なぼくはとにかくアクティブにいきたかったんだけど、疲れてるせいか身体がどうにも動きにくい。 それに連動して頭の中もモヤモヤしちゃって、ちょっとばかりクランキーになっていた。 そんな時に海に入ってみると、ぼくの魂がホッとするのがわかる。 少しだけヒンヤリしてた今日の水温は、ぼくの身体をくすぐるようにまとわりついて来て、自然と笑顔になった。 パドルでアウトに向かう時も、フワフワ浮いてるのが心地良かった。 クリアなマーメイドビーチの海は、海底までよく見えてとても綺麗だった。 それだけで癒された。 あまり期待してなかった波の方は以外と乗れる波が入って来て、レギュラーでもグーフィーでも2、3アクションが入る波に乗れて嬉しかった。 ぼく1人で楽しめて、「こんな広いビーチの中からバンクを見つけれた」ってゆう自分のラッキーさにいい気分になった。 この後仕事があるのでそろそろ上がろうかなと思ってるところで、ローカルのおっさんが同じ場所にパドルアウトしてきた。 「君が乗ってるのをサニーデッキから見ててすぐにボードを掴んでゲッティングアウトして来たよ」と笑顔で言われて、「俺はもう上がるから後は全部おじさんが乗ってええよ〜」って言って、グーフィーの波を最後に、ぼくはスッキリした気分で家に戻った。 これがあるからゴールドコーストのサーフィンライフは楽しいな。 次の休みまでもう少し働いてこようっと。  

マントラレジェンズで行ったアースアワー

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3月28日はアースアワーの日。 夜の8時半から1時間必要じゃない電気を消して、みんなでこれからの地球の事について話していこうとゆうイベントだ。 2007年にシドニーで始まったこのアースアワーはその後次々と世界中に広まり、これまでに162か国以上の7000を超える様々な都市でこのイベントが行われている。 オージーの3人に1人はアースアワーに関心を寄せてて、2015年の今年は「オージーフードと農園」とゆうスローガンを掲げている。 ぼくらが普段口にしている食べ物はすでに環境破壊の影響を受けていると言われているが、このオーストラリアで作った野菜や肉を食べて、健康的な食事を摂っているぼくたちと同じように、子供たちにも同じ環境を与えれるようにしようとゆうイベントだ。 ぼくが働いているMantra Legends Hotelでもライトを消して、このイベントに参加した。 今日はあまりにも忙しくてこのことをすっかり忘れていたぼくは、フロアがうす暗くなってるのを見てゲストへのバースデーソングでも歌うのかなと思った(笑) そういえばフロアをセットアップする時間から、やけにキャンドルを置くんだなぁと思ってたんだけど、さすがホテルは用意がいいね。 広いレストランフロアにキャンドルだけの明かりでゲストたちはいい雰囲気の中ゆっくりと食事を楽しんでいた。 みんながアースアワーについて話していたかどうかは分からないけど、このイベントをすることによって、一人でも多くの人が地球環境について関心を持ち始めたらいいなとゆう事なんだろうな。 普通に生活していると地球環境の事を考えることなんてあまりないけど、サーファーでありシェフであり、子を持つ親として今のこの素晴らしい地球がもっと良く、いつまでも安全で暮らせるように少しずつでも出来ることを考えて行きたいなと思った。

海外生活と親の死

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父の命日 2015年の今日から、ぼくの中で新しく使う言葉ができた。それは「父の命日」とゆう言葉だ。 1年前の3月26日の夜明け前、ぼくのお父さんは肝不全で亡くなった。 死が近いことは分かってたけど、いわゆる「虫の知らせ」が全くなかったことにぼくは驚いた。 だってドラマや映画では必ずそうゆうのがあったから、自分の番が来てもそれがあるだろうと思ってたからだ。 だから家の電話が突然鳴った時はびっくりした。弟が「お父さん死んだで」と言って来た時、なんか、今までにない気持ちが一気に襲い掛かってきた。 泣きたい気持ちはなかった。ただ、どう思ったらいいのか分からなかっただけだった。 親の死に目に会えるかどうか ぼくが住んでいるのはオーストラリアのゴールドコーストとゆうところだ。 日本まで飛行機で9時間の距離がある。 お父さんが住んでいた実家は香川県なので、日本に着いてももう一頑張りしないと家にたどり着けなくて、とても時間が掛かる。 海外在住だと「親の死に目に会えるかどうか」が話題に上がることが多いが、ぼくは死に目に会えなかった。 会えると思ってたけど会えなかった。 けど心残りは全くない。親孝行できたのか?と言われれば「そうでもないかも」と曖昧な答えになってしまうけど。 心残りはないかな 2010年にマリーナミラージュで結婚式を挙げた時には、初めてゴールドコーストに来てくれて、ぼくが選んだ人生の場所を見せることが出来た。 こっちに来てから親の大切さを実感し始めた時から、自分の誕生日には「育ててくれてありがとう。感謝しているよ」と伝えていた。 長女のリオを香川に連れて帰って会わせることも出来た。 亡くなる一か月前には休みを取って日本に帰国してから、1週間毎日病院にお見舞いに行って他愛のない話をした。 ぼくと弟とお父さんの3人で、昔大阪に住んでいたころのような、家族の空間でしょうもない話をして楽しむことも出来た。 まだ言葉を覚え始めのリオも電話で「じぃじぃ」って呼んでくれ、お父さんは喜んでくれたし、だからそんなに心残りはない。 主治医から呼ばれてぼくは急遽休みを取って、香川に帰った。 余命宣告から葬儀まで 余命宣告を受けるためにぼくと

レッカーでもって行かれて罰金400ドル

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昔の話しだけど、ゴールドコーストの駐禁で恐怖を味わった話だ。 それはタウンハウスにある友人の家に遊びに行った時だった。 数少ないビジターパーキング(お客さん用駐車場)に車を停めたのだけど。 時間制限が4時間までで 、それを過ぎると駐禁の対象になると書いてある。 朝起きて帰ろうと思ったら「あれ?ここに停めてた俺の車が消えてるやん!」となった。 その日はずっと大雨が降ってたので移動させるのもめんどくさいし、まあいいやと思ってそのまま朝を迎えたら見事にぼくの車は消えていた! 目の前に書かれた表示には「Tow away(レッカー移動)」って書かれてるしまあしょうがないけど、なんかめちゃくちゃ腹が立つ! すぐにここの管理人室に向かい怒鳴り込んだ! 「俺の車をどこにやったんじゃい!これから仕事に行かなかんのにどないしてくれるんじゃ!」すると管理人のおっさんはしれ〜っと 「え?まさかあそこに一晩停めてたの?そしたらレッカーされちゃったのかもね。ここに電話してみな。」と携帯番号が書かれた紙を渡してきた。 電話の相手は「すぐにあなたの車を持って行ってあげるから$400(40000円)払ってね。もし払えないなら残念だけど車は渡せないよ。そしてここに停めてる延滞金も1日$50(5000円)ずつ掛かるよ。どうする?」と言って来た。 もうさすがのぼくでも怒り爆発である。警察でもないどこの誰かわからん奴に車を持って行かれて金払えって、むちゃくちゃすぎるやろ?! しかしそんな怒り感情のまま電話の相手と話しても、向こうはお金と引き換えじゃないと、車は渡さないの一点張り。 仕事にも行かなきゃいけないぼくはしょうがなく$400を払う旨を伝えて、レッカー屋のおっさんを待った。 顔を見るとまた怒りが爆発してしまった!しかもおっさんは手ぶらで現れた。 「俺の車は何処やねん?」 「君がその$400を渡してくれればちゃんと車を返すよ。」 「イヤイヤ先に車を」 「ダメダメよ〜ダメダメ!お金が先よ」ってなやりとりを数回繰り返すとおっさんはあっさり、 「じゃあいいよもう帰るから。バーイ」と言い出す。 もうこうなってはラチがあかないのでお金を払い、車を返してもらうことにした。

写真には写らない、美しさがあるから。

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ロイヤルパインリゾートの前あたり ぼくが一日の中でもっとも好きな時間がある。それは太陽が沈む前の夕暮れ。 ゴールドコーストの真っ青な空が、少しずつ色づいていきオレンジ色になったり、真っ赤に染まったりしていくのがたまらなく美しいとおもう。 自然の素晴らしさに感動するし、夕暮れの空の様子をじっと眺めていると、今日一日平和に過ごせたことにとても感謝する。 そしてぼくが思うにゴールドコーストのサンセットは、必ず見ておきたい観光スポットの一つじゃないかな。 カラーラスタジアム もう夏が終わったけど、気温はまだ25℃を超える日が続いて、秋が来るのはもう少し先になりそう。 相変わらず小波が続いてるから、サーフィンしてないけど、ボクシングには行っている。 この写真はマトリックスボクシングジムからの帰りに、車の中から撮ったもの。もちろん運転中だったけど、みんなは真似しないようにね(笑)  だって夕方のゴールドコーストの道路は、仕事が終わって家に帰る人達で混んでて事故も多いからね。 しかも運転中に携帯をいじってると、ポリスに捕まって罰金やからね。確か$250位かな。 そんなリスクを冒してまで撮った写真なのでぜひ見て欲しいな(笑) ちなみにこれはサンセットの30分前からの様子。海の方向に向かって見ている空。     毎日違う空が見れるのだけど、今回のは特別綺麗だった。地球の偉大さを感じるね。 リンダリンダ〜(^O^)/   サーフィン ブログランキングへ ボクシング ブログランキングへ

ゴールドコースト、波が立たない静かな日は?

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波が無い?何を考えようか? 波が立たない静かな日は、イメトレやってシャドーボクシングでもやっておけ、 やがて大きな波が来るまで。 ってゆうのは最近ぼくが思いついた言葉だ。 波が無い時でも、サーフィンから意識を逸らさずに、ボクシングトレーニングをやってフィットしていれば、次のウネリが来た時にもすぐに波に乗れるよ。 とゆうそのまんまの意味で、いつまでもサーフィンライフを続けていくために何か言わなきゃと思ってたらこれがでた(笑) 何を隠そうこれはマラソン選手高橋尚子の「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ、やがて大きな花が咲く」とゆう言葉から取ったものだ。 あまりにも海に入ってない日数が続いて来ると、いい加減おかしくなって来てしまうな。 週末にはサイズアップの予報が出てるが、さてどこまで上がるのか楽しみだね。 今年に入ってから、波が上がれば一気にデカくなり、バーレーヘッズばっかりでサーフィンしていて、家の前のビーチであまり入ってない気がするよ。  週末はマーメイドビーチに期待したいな。

ハーモニデーにオレンジ色のシャツを着る

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日本では春分の日にあたる3月21日、オーストラリアではHarmony day(ハーモニーデー)とゆうのがある。 生まれた国や、文化が違ってもこの国ではみんな同じ、お互いに尊敬し合い、分かり合いましょう。とゆうのを祝う日だ。 オーストラリア政府が推進するこの日のイベントは、始まってからまだ15年しか経ってないので知らない人も結構多い。このブログをアップする前にFacebookにこのハーモニーデーの事をポストしたけど「え?なに?そんな日があるの?」といった反応ばかりだった。 ぼくの職場のMantra Legends Hotelでは、Canteen room(キャンティーンルームと言って働くスタッフが休憩をしてテレビを見たり、食事をしたりできる場所)で一人一品持ち寄りのランチパーティーが行われた。 料理はとても簡単なものを用意するんだけど、例えば日本人ならスシとか、インド人ならグラブジャムンとかイギリス人ならスティッキーデイツといったように、それぞれの国の有名な食べ物を持ち寄って、お互いの文化をシェアしようとゆうものだ。 このハーモニーデーのイベントとゆうのは、それを行う企業や学校、その他の組織によるもので、中には民族衣装やダンスを披露しあうところもあるみたい。 うちの娘が通う保育園からも「この日はみんなでオレンジ色の服着るからよろしくなぁ~」と言われてた。ぼくらは2年前までは、オーストラリアに住んでいても日本人社会にどっぷり浸かっていたせいか、このハーモニーデーの事を特に知ってる訳ではなかった。なので「ふ~ん」とゆうくらいの気持ちで娘のリオを保育園に連れて行った。 奥さんがこの日のために、オレンジ色のシャツを買って準備していた。 リオも新しい服を着て嬉しそうで、何かいつもと違うことをする日とゆうのを感じ取ってたみたい。 朝、いつものように保育園に入っていくと、先生たちはみんなお揃いのオレンジ色のシャツを着ていて、子供たちもみんなオレンジ色か、それに近い色(薄いピンクとか?)のシャツを着ていた。 リオを見つけた一人の先生が寄ってきて、「リオもオレンジを着てるのね~めっちゃ素敵やん!みんなも同じオレンジを着てるねんで~We are same.(ウィーアーセイム、みんな同じ)」と声を掛けてくれた。な

フェザー級王者、ブレイドスミスの追悼グローブ

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いつものようにトレーニングのために マトリックスボクシングジム に行くと、入り口の壁にグローブがぶら下がっていた。 何かなと思って近づいて見たら、ボクサーの写真も飾ってあってR.I.Pと記してあるのが分かった。 それは先週亡くなった、WBCアジアのフェザー級王者ブレイドスミス( Braydon "Brayd" Smith) への追悼の為のものだった。 彼はToowoomba(トゥーンバ、ゴールドコーストから北西に約250km離れた町)のボクサーで、試合が3月14日にあり、10Rを戦った後、控室で倒れて病院に運ばれたが翌日に亡くなった。 ぼくは彼の事を知らなかったので、このブログではこれ以上詳しいことを描書かないでおくようにするけど、同じボクサーとしてご冥福をお祈りいたします。 今日のトレーニングもいつも通りハードで、身になるものだった。 やはりベーシックを繰り返し教わることが出来て楽しかった。 秋先には珍しく、外の気温が珍しく35度近くあったので、熱気がこもるジム内は外よりも暑くて、汗が止まらなかった。 ローテーションワークのなかに今日はパンチングボールが含まれていて、ぼくは率先してやってみたがやっぱりうまくいかない。 ワンツスリーのリズムで叩くことは頭でわかってるけど、あれは難しすぎる。 ぼくの中学校からの親友モリもボクシングをやっていて、以前そこのジムに連れて行ってもらった時の事。 そこにもパンチングボールがあったので モリがどの位できるか見たかったからやってもらおうとした。 するとモリはやってくれもせず、「こんなんできてもボクシングは上手くならへんで、あの徳山さん(徳山昌守、WBC世界スーパーフライ級王者)もやらへんし、通りすがりに一発どつくだけや!」  と言ってたのをいつも思い出す。 マトリックスジムに世界王者はいないけど、現役クイーンズランド王者は何人かいてみんなパンチングボールをメイウェザー並にこなしている。 それを見るとやっぱりぼくもバコバコと叩けるようになりたいなと思ってしまうな。 オーストラリアも日本もボクシングの人気はとても高いけど、人が死んじゃうような事故がこれ以上起きない事を願

原田正規ってプロサーファーってじゃんね。知らずに呼び捨てにしたりして、上から目線のアドバイスをしていたあの日。

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25歳の時、ぼくはマーメイドビーチにあったミスタースシとゆうお店で働いていた。 ローカルに人気のお店で、みんな海帰りなどにフラッと来てくれていた。 プロサーファーもよく来てくれていて、タジやパーコにミック、ポールフィッシャーやダン(DMS surfboards)らも普通にやって来てた。 今ではすっかり有名になってる Takeda Customs のよしくんなんかは、週2,3日は来ていた。 そのよしくんが連れて来てくれたお客さんの一人が原田正規プロだった。 その当時のぼくは何も知らなくて、特に日本のプロサーファーって誰がいるのかってのを全く知らなかったのだ。 だから原田正規プロに会った時も、ぼくはまるで自分の後輩と接するかのような態度をとっていたのだった。 今思えば25歳とゆう年齢だったあの頃は、まだ世の中を舐めていた感があったので、生意気だったのかもしれない。 それからそのお店へは、原田正規プロ は一人でも来てくれるようになって、まぁちょっとずつ話すようになった。 一見怖そうだったんだけど、彼は実は優しい感じの人だった。 ゴールドコーストってみんなサーファーだから、話題はいつも波乗りの事なんだよね。いい波の情報を交換したり、新しいサーフボードの事。 ぼくはいつも原田正規プロに会ったら、「どう?今日サーフィンした?」ってな感じで話しかけていた。 実は今思えば自分の若さがこっぱずかしくなるのだが、ぼくは原田正規プロの事を「正規」って呼び捨てにしていたのだった。 明らかに年上だって分かってたんだけど、よしくんが「こちら正規」って紹介してくれたもんだから、その呼び方でいいんだって勝手に思い込んじゃったんだよね。 彼が何度も繰り返し来てくれる中で、ぼくも自分のサーフィンの事を話したり(その当時はまだ初心者に毛が生えたくらいだったのでなんちゃってアップスしかできない程度だった)していた。 そのうち正規が「俺ちょっと腰が痛くてさ、今サーフィン出来ないんだよねー」っと自分の事を話してくれた。 ぼくからトッププロへのアドバイス それから正規に会うたびに、サーフィンの話で盛り上がっていた。 腰痛が酷いと言う正規に「そう

ろくでなしトレーニング、トレーニング at Matrix boxing gym

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  だからぼくはバッグを打つんだよ、精一杯でかい力で。 見えない勇気が欲しくて、見えない相手を打ちまくる。 本当のぼくを見させておくれよー! トレーニング、トレーニング走って行け、トレーニング、トレーニングどこまでも。 ここは天国じゃないんだ、かと言って地獄でもない。いい奴ばかりじゃないけど、悪い奴ばかりでもない。 世界中で定められたどんな記念日なんかより、あなたがこのブログを読んでいる今日の方が、どんなに意味があるだろう。 トレーニング、トレーニング、ハードに行け、トレーニング、トレーニング、いつまでも。 ぼくの青春時代にはろくでなしBLUESとゆう漫画があって、毎週欠かさずジャンプを買って読んでいた。 ぼくがボクシングに憧れを抱いたルーツの一つは、ろくでなしBLUESにあるのかなと思う。 前田大尊が練習していたライトクロスカウンターは、今でもぼくの憧れの技。 こないだジムでサンドバッグを相手に練習してたら、肘が痛くなったのでそれ以上は練習しないことにした(笑) 今日のジムはヘッドコーチのスティーブンもクリスコーチもいなくて、ネイソンとゆうヘビー級のコーチがいた。 この人ボクサーなのに人にめちゃくちゃ優しいから、ハードなトレーニングを押し付けてこないとてもリラックスなコーチなのだ。 お陰で今日のトレーニングは息が切れることなく終わっちゃったなぁ。 ボクシングのトレーニングって自分で自分を追い込むことって難しいね。まぁハードな時もあればソフトな時もあるからね。