初めてのチャイルドケア 





オーストラリアの学校の初年度は1月から始まる。

それに合わせてずーっと前から順番待ちしていた保育園に、やっと入れることになったうちの娘。

両親日本人で、完全に日本語環境で育った娘は、ドラえもんのアニメを朝から晩まで見まくってるおかげで、日本語が達者になった。






今現在、ぼくら両親と普通に会話が楽しめるレベルまで来ている。

テレビの中のしずかちゃんや、のび太くんが話してる言葉がそのまま娘の言語となった。

なぜか自分の事を「ぼく」と呼ぶのはのび太くんかドラえもんか。

どっちにしてもここは英語圏なので周りからおかしな目で見られる心配がないと思い、そのままにしている。




保育園に入る前からぼくら親が気構えていて、娘に何度も何度も「もうすぐキンディーが始まるねー楽しみだねー」と言い聞かせていた。

娘本人も「うん、ぼくもうすぐキンディーに行くの。うれしいなぁ」と言っていた。

ちなみに「キンディー」とはKindergarden(キンダーガーデン、幼稚園の事)の略なので、正確にはChild care center(チャイルドケアセンター、託児所の事)と呼ぶのだが、だいたい世間はキンディーと言ってるので、うちもそうしている。




そんなことを言ってるまにやってきた一日目。

奥さんが朝連れて行って、すぐに帰ってくる段取りで準備した。

せっかくなんで写真でも撮りたくてキンディーまで一緒に行こうかと思ったけど、娘が一緒に帰りたがるだろうとゆうことでぼくは家でバイバイして見送った。





家で待ってると奥さんがなかなか帰ってこない。

キンディーまでは家から10分で行ける距離なのに。

1時間後に戻ってきた奥さんの話によると、マミーと離れたくない娘は泣きじゃくって大変だったそうだ。

とても心が痛む思いをしたけど、まぁしょうがないことだ。この日が生まれて初めて親離れの時間を経験する時なのだから。



それから通い始めて数週間過ぎてもなかなか朝のお別れの儀式だけが慣れないようなので、なんとか空気を変えちゃおうと次からぼくの仕事になった。

実はこうゆう「イクメン」みたいなことをしてみたかったぼくは速攻でOKして、週2日のキンディー通いを引き受けた。



さてどんなもんだろうと思ってたけどけっこうハードな役割だった。

キンディーに到着した瞬間から娘は、ぼくのシャツをぎゅっと握ってシクシク泣いているのだ。

こんな調子でバイバイするなんて正直キツイって思ってしまった。

やっぱこのまま家に連れて帰っちゃおうかなぁなんて思ったりして。。。



とりあえず中に入ってから一通り先生たちにも挨拶をして、娘を何とか輪の中に入れようとするけど絶対に離れようとしない。


しまいにはシクシク泣きながら、

「ねぇおうち帰ろう?マミーに会いたい」って言い出すしそれに反応したオージーの先生たちは、

「え?なにー?娘ちゃんは日本語でなんて言ってるのー?」って聞いてくるし、ぼくはめちゃくちゃオロオロしてしまった。

やっぱり離れるのも辛いのだろうけど、言葉が通じないのが結構しんどいのかななんてことも考えた。

やっぱり日本語で育った娘はオージーの先生たちが言ってる英語は全く解さないからね。


それでも時間がかかればかかるほど、離れることが辛くなってくるので先生に、

「もう行くから今日一日よろしくお願いします!」と言って強引に娘を引き離し、泣き叫ぶ声を背中に受けながら出ていく、とゆうやり方でとりあえず始まった。




子供はすぐに慣れるってゆうけどうちの子の場合、日本語を相当覚えちゃったから余計に英語が「は?」って感じなんだろうと思う。

かと言って家で英語教育を始めちゃうと、将来日本語が話せないようになってしまう恐れがあるからそれはまだ考えれないし。

そろそろ通い始めて7週間位経つけど、まだ英語は全然ピックアップしてないみたい。

それにキンディーから帰ってきてすぐは、ぼくら相手にマシンガントークが繰り広げられるから、本人は相当フラストレーションが溜まっているのだろうと思う。

もっと時間がちゃんと過ぎれば、そのうち嫌でも英語がうまくなるってみんな言ってるけど、親心としては少しでも悲しい思いをせずに、キンディーを楽しめるようになって欲しいなって心から思うのであった。


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