オージーは踏ん張れないのかい?

 

 

オージーは踏ん張れない


このオーストラリアの文化は時として人を限界まで追い込むことを良しとしない傾向があるような気がする。

もう少し踏ん張れば乗り越えられる壁を、人に無理矢理越えさせようとはしない。

例えばぼくが働いている職場でも、しんどかったら最初から出勤しない方がいいとゆう考え方があるし、それに習い事なんかでも少し飽きちゃったら簡単にやめちゃう子供とかもよくいると聞く。

踏ん張らない事にあまり人から責められることはない。




レフェリーが止める前に首を横に振ったダニエル



ウェスタンシドニーボクサーのダニエルギールは昨年7月のゴロフキン戦で3ラウンド目でダウンをくらい起き上がって8カウントの後、自分からギブアップした。
 
次のプエルトリコ人のミゲルコット戦でも4ラウンドまで戦い、左フックでダウン。8カウントまで身体を揺すって動けてたのにまたギブアップ。
 

こんなオージーの試合を見ると、オーストラリアにはハングリー精神と限界を超えることの美学が無いのかななんて思ってしまうよな。




限界を超えない働き方もあるオーストラリア


職場でも踏ん張る根性の無い者が数人いて、その中でもオーストラリア人やオーストラリア育ちの奴らは先に自分の限界を伝えて来るし、病欠も権利として保障されてるからちょっとした事でも平気で仕事を休む。

日本で育ったぼくには理解しがたいことだ。





「観客の気持ちは倒れるまで戦ってくれ」





これはぼくがいつも読んでる佐々木基樹さんのブログに書いてあったボクサーの気持ち。

一応佐々木さんには引用する旨を伝えたので遠慮なく読み進めていいよ。


地球の殴り方

……選手側の正直な気持ちをぶっちゃけで代弁すると。

やっぱり観客のその一瞬の満足を得るために、自分のボクサー生命をさらすことはできないんですよ。

「こっちは金払って来てるんだから、ボクサー生命だろうが何だろうが全てさらせよ」ってのも分からなくはないし間違っちゃいないんだけども。

ボクサーの気持ちを言うと。

「そこで倒せ!リスク承知で倒しに行け!」っていう刹那の希望を叶えるため倒しに行って、逆にカウンター喰らったら。

誰が責任持ってくれるのかと。

そもそも持てるのかと。


……持つ人いないし第一持てないよね。

「なんでそんなもん持たなきゃいけないんだ」ってのも分かるし。


けど、そしたら、ボクサーにだって自分自身が今まで色んなことを犠牲にして来てやって来たものがある。

それは、正直お金になんか全然代えられない。

それ簡単には危険に晒せないよね。


自分の欲を満足させるため、「倒せ~!」って言う人と同様、ボクサー側にも自分の夢がある。

それを認めろとは言わないし言えないけど、それがボクサーの本音でもある。

 








自分のリミットを知っているボクサー

 

ボクサーの本音としてかなり納得出来た。そうゆう面もあるのだろうね。

でもダニエルギールにはもうちょっとかっこよく戦ってもらいたかったな。

オーストラリアの国旗を持って世界に戦いに行ってるんだから、みんなが期待するリミットを超えて見せて欲しかった。

これからMatrix boxingのRohan Murdock ローアンマードックが世界に挑戦して行くとゆうのに、オージーボクサーがヘナチョコやと思われるじゃないか。

まぁ今回は相手のレベルが違いすぎたのだからしょうがないが、自分のリミットの低いボクサーは後ろに引っこんで、他のやつらにもっと世界に挑戦するチャンスを与えればいいんじゃないかと思った。もっと戦える奴が他にもいるんだから。