日本脱出14年目 ~地元の友人達を思う~
2002年10月14日にゴールドコーストにやってきたので、今日で13年が経った。
ぼくが働いているホテルで日本からのゲストと話していると、必ず聞かれるのが何年ここに住んでいるのかとゆうこと。
ほぼみんなが年数が長いとゆう事で、驚きの表情を見せる。
この間、ブレックファーストをやっている時に、愛想のいい日本のおっちゃんにここは長くいるのかと聞かれた時には、
「朝からのシフトなんで始まって2時間位ですかね。」
とボケてみたがそうゆう質問ではないよ。と諭された。。。
ボケ力は未だに低迷中である。
そしてホテルで働いているスタッフと、同じような会話になった時は、
え?13年も住んでてなんで英語話せないの?
とはっきり言われる事が多くて、ちょっと傷つく。。。
確かに13年前にゴールドコーストに到着した瞬間は、ほんの数か月でペラペラになると思ってたのになぁ。
まぁそんなんでも今こうやってローカル企業に勤めれているのだから、英語力ってゆうのはそんなに重要ではないのかもしれないかな。
あ、でもこれから英語力を身に着けたくてオーストラリアに来る若者は、一時間でも多く毎日勉強して、ローカルが使う英語を覚えなきゃいかんよ。
じゃないとこんなおじさんになってしまうからね。。。
さてタイトルの日本脱出について。
地元の友達とは違った人生を送りたいと思ってたぼくは、こっそりと故郷を後にした。
近い友人達には飲み会と、空港まで見送りをしてもらったが、その時のぼくはもうすでに日本に戻らない気でいた。
22歳だったぼくは、自由への扉を開いたような開放感でいっぱいだった。
それからのぼくは、自分一人で人生を切り開いた気になっていたのだから、若いとゆうのは恐ろしいなぁと思う。
世の中の事を何も知らなかったのに、ここに来ただけで何かすごいことをした気になっていたのだから、今思い出すと恥ずかしい(笑)
そして最初のうちは地元を振り返ることはなかった。
半年に一度くらいの割合で、日本からの国際電話を受け取ると親友からの電話だった。
「お前やっと電話に出たな。」
その言葉から察するにしょっちゅう掛けてきてくれてたのだろう。
「ところでまだ帰ってけぇへんの?」
とゆう問いかけにも深く考えることはなく、ただ帰らないと伝えるだけだった。
別の女友達が同窓会中に掛けてきてくれた電話も、おせっかいやなぁくらいにしか思わず。
手紙をよこしてくれた時も返事すらせず。。。
自分でも何をそんなに一人になりたがってるんやろうなぁとか思っちゃうけど、こんな奴だから日本を脱出したのかな。
やがてぼくも結婚して子供が誕生して、こちらでの生活が整い始めた時くらいから、地元の友人たちの事が気になり始めた。
22歳の時に日本を脱出した時から、ずーっと変わらず気にかけててくれてる地元の友人たち。
ぼくだけが人と違った人生を送りたいと思って、自分だけが変わっていきたいと願いながら月日を重ねている間も、奴らはずーっとぼくを思ってくれていた。
最近やっと、遠く離れてても支えててくれる心強さが身に染みるようになってきたなぁ。
そういえば数か月前にイタリアで結婚式を挙げた子がいて、お祝いに駆けつけた時の事。
何日も一緒に過ごさなきゃいけなかったから、絶対にケンカになったりするんやろうなぁなんて本気で思ってた。
ところがどっこい、昔からの友人と一緒にいるとゆうのはめちゃくちゃ居心地が良くて、楽しい時も疲れてイライラしてるときも、全ての時間を共有できて素晴らしい時間だった。
ちっちゃい時から繋がってる奴らとは、こんなに素敵な空気感があるんだなぁとか思ったりして。
この10月はゴールドコーストでの生活が始まった節目だ。
毎年色んなことを考えているのだが、最近になってやっと地元の友人たちが支えてくれていることに感謝の気持ちが湧いてきた。
ちょっと時間がかかった感があるけど、紛れもなくぼくがこうやってゴールドコーストでの暮らしを続けて行けるのは、地元の友人たちのおかげ。
日本を脱出して一人で切り開いたなんて思ってたけど、全然そんなことなかったみたいやわ。
みんないつもありがとう!
コメント
コメントを投稿