ジャパレス以外の仕事がしたい? ゴールドコーストで働くなんて、そんなに簡単じゃなかった。
オーストラリア人と働きたいって思ってたからね。だから10年働いたスシ屋を飛び出すことにしたんだけど思ったよりも厳しかったな。一歩間違えたらホームレスになってたかもしれない。
2013年の春先ころ。マーメイドビーチにある洗車場でアルバイトしたことがあるんだけど、なかなかキツイ仕事だったなぁ。元々ぼくは学歴なしで大人になっちゃったってゆうのがあって、選べる仕事が少ないのだ。日本にいた頃は引っ越し屋とか、現場系とか体力があればなんとか働ける仕事ばっかりしていた。
だからゴールドコーストでも仕事に困ったときに飛び込んだのが、「洗車場のアルバイト」だった。
現在のシェフの仕事を見つける前、それまで働いてたスシ屋を辞めたくて新しい仕事を探してたんだけど、雇ってくれるところが全然なくてけっこうヤバかった。
1か月以上前から退職する日を決めていたのだが、1週間前になっても次の職場が決まらなかったとゆう状態だった。自分のアホさゆえにそこにある危機に気付いてなかったのは、本当にアホだったと思う。
だってその時、生まれて間もないリオがすでにいたからね。それでいて自分の「何かにチャレンジしたい!」ってゆう強烈な思いだけで転職を決意していたのだ。
でもオーストラリア社会はそんなに甘くなかった。シェフ、調理師、といってもここの社会で証明できるサティフィケートがないとゆう事で、50枚以上出した履歴書でもいい答えが返って来ず、やっと呼んでもらえたトライアルでも、何も知らない、分からない、日本食のスシの事しか知らなかったぼくは、周りのシェフから鼻で笑われる始末だった。
それでも必死で自分をアピールするものの、どこにも採用されず、退職する日が刻々と迫って焦りがマックスに達してたけど、誰にも相談したくない葛藤と戦っていた。今思い出してみると、その時の奥さんは何も言わずに見守っていてくれていたのがよかったのかも。ギャーギャー言われてたらただでさえ苦しかった状態がめちゃくちゃになってたと思う。奥さんには感謝である。
もう再来週には退職して、そこから先の収入は何もないよ。とゆうところまで来ても、どこにも就職が決まらなかった。厳しいと思った。
子持ちで仕事探し
とにかく日銭でもいいから家にお金を持って帰らなきゃと思い見つけた仕事が、「洗車場のアルバイト」。
時給は確か14ドルとかそんなんだった。
初日に4時間ぐらい働いて終わってみれば、「今日はトライアルだから給料は出ないよ」と言われ、でもぼくは家族がいるのでただ働きだけはできないので、そこのオーナーに直接直訴するも、「マネジャーに相談しなきゃ何とも言えん」みたいなことを言われ諦めた。
家族を家に置いて、仕事してくると言って外に出たのにお金を持って帰らなかった自分が、めちゃくちゃ情けなかった。
やっぱり外国で仕事を見つけるのって、すごく難しいなって心から実感した時だった。
日本だったら、とりあえずで良かったらいくらでも仕事はあるのにね。
洗車場ですら雇ってもらえなかったなんて、なんなんだろうね。
タイミングよくホテルへ就職
今の働いているホテルに入れることが決まったのは、10年間も勤めたすし屋さんを退職する、2日前だった。
あの時はまだ事の大きさに気付いてなかったが、今だったら震えるほど恐ろしいなって思う。
家族が路頭に迷っちゃいかねないよな。
仕事で嫌な事があった時、ボスにムカついたとき、ぼくはいつもこのことを思い出している。
今の自分と家族が平和に暮らしていけてるのは、あのタイミングで雇ってもらえたお陰だとゆう事を。
そして感謝の気持ちを持って、仕事に精を出している。
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