引退覚悟だった!? ケリーやガブを倒したストゥワートケネディ秘話 ~How close did Stu Kennedy come to quitting? ~
鉱山の仕事を探しているんだ
その話を聞いたのは、ポルトガルから1000kmほど沖合にあるアゾレス諸島でだった。
あの時は「こんなの出来る訳ない。もう争えないよ」と頭の中は完全にパニックになっていた。ネイサンヘッジがアルコール中毒の治療の為ツアー参戦をキャンセルし、その空いた枠にストゥが入ることになった。
22歳のストゥワートケネディは、オーストラリアジュニアシリーズで最速勝利の記録を塗り替えた。
そしてその時の彼にあったものは、スポンサー無し、家のローン、生まれてくる子供とゆう経済的不安だった。
「あの時はお金の不安がちょっとあったんだ。スポンサーしてくれてたリップカールがちょうど離れてしまい、それが22歳で大きな投資をした後だったからね。」
「子供も生まれてくるとゆうのにスポンサーが無いなんて、全く持って理解できない状況だったよ」
しかしながら遅れを取っていたストゥだが、決して諦めようとはしなかった。
ストゥを燃えさせたのは、かつては一緒に戦っていた仲間たちだ。すでにサーフィン界で人気を得ていて、ワールドツアーにクオリファイされていくのを片隅で見守るしかできなかったのだ。
パーフェクトな波があるレノックスヘッドにいながら、友人のビルディングサイトでスコップ片手に働いた。
QSを周るのに年間$50000程の資金が必要になる。
住宅ローンを抱えた彼には、なにが何でも前進し続けるパワーを得なければならなかった。
彼に与えられた試練は、現場仕事で稼いだ資金をQSツアーを周る資金に充てて、コンテストで勝ち、さらなる稼ぎを生み出す必要に迫られた。
ただならぬプレッシャーが彼を襲い掛かった。
「集中するのがとても厳しいものだったよ」と彼は言う。
「もしお金の問題が無ければ、サーフィンももっと楽にできたかもしれないな。お金とゆうのは家族を抱え、住宅ローンがある俺にとってこれまでにないストレスを与えてくれたよ。」
「子供や奥さんから尊敬されてたいしな。まぁ分からないけど、それらを横に置いて自分勝手にサーフィンだけをやるなんて難しいしいんだよ。だからもう全てを諦めて、鉱山へ働きに行くか見習いから仕事を始めようと思っていたところだよ。」
「鉱山で働いている何人かの友人に連絡したんだ」と彼は言った。
経済的なプレッシャーに加え、QSではしょぼい波に悩まされることとなった。
ストゥはいつも分かっていた。ワールドツアーに参戦できれば十分に戦えるだけのものは持っていると。
レノックスヘッド及び、NSWノースコーストでサーフィンに人生を費やしてきた時間がもっとも楽しいものだった。
問題はそこだった。
彼の鋭くキレのあるスタイルと爆発的なパワーは、ヒザ波のクローズアウトするビーチブレイクでは完全に使い物にならないのだ。
アゾレスで彼は自分自身に約束をした。
これだったと。
もうストレスはない、余計なプレッシャーもない。彼は投げ出す直前まできていたが、最後の最後にQSイベントを楽しむ事ができたのだ。
「ポルトガルに行った俺はとにかく気持ちが落ち着いていた。よしこれだなって」
「で、俺はやったんだ。やったぞ。ついに取ることができたんだ。そしてどんどん勝ち進んだんだ」
タイランド製ファイヤーワイヤーのミシェル・ボレーズモデルのストックボードに乗り、ストゥは燃え上がった。
「泡がブクブクと現れるように、俺はとにかくヒートを勝ち進んだんだ。そしてマンオンマンのヒートに持ち込んだ。とっても心地のいい場所だったよ。」
彼は2位でフィニッシュしてUS$20000のチェックを手に入れた。彼が必要としていたハワイへの資金となり、その後のツアーを支えるものとなった。
少し足りない気もしたが、スポンサーとなってくれるサーフカンパニーへのアピールをする自信をつけるにはちょうどいいものだった。
彼は年間契約$10000から$20000で交渉を試みたが、現在の時点ではまだ何もない状態だ。
彼が相当な労を重ねた2015年のクオリファイは、たった一つのところで手に入れることが出来なかった。
甘苦い経験をしたが、最終的には幸運が彼のもとにやってきた。
仲の良い友人でもあるビードダービッジが2015年のパイプマスターズで負傷したのち、2016年のほとんどであるリプレイスメントのワイルドカードをストゥが手にすることとなった。その後の彼の活躍は我々の知るとおりである。
ストゥによって切って落とされたシーズンオープンのゴールドコースト、クイックプロ。12回目のワールドタイトルを狙うケリースレーターとブラジル人ガブリエルメディーナを相手に勝ち進んだ。同じくジョンジョンフローレンスとはセミファイナルで対決した。
その結果、彼は1年先までの住宅ローンを払うことが出来るほどの賞金を手にした。そしてもっと大きなものとしては2017年のワールドツアーへのクオリファイ、トータルで16ヒートを勝てば得られるとゆうマジックに乗りかかった。このプレッシャーなら彼にとっては容易いものだ。
「ツアーに参戦できれば自分のサーフィンが十分に通用することは分かってたんだ」
「ナーバスな状況でもいい仕事ができるんだよ」
「もし鳥肌が立つほどの状況がまたやってくるとしたら、それはもう俺にとってはエキサイトな事だよ。だってもうそんな状況はやってこないだろうからね」
苦難を乗り越えた者として、「辛いことを乗り越えたんだね、なんて言われたくないんだ。」「長い人生のほんのわずかな事でしかないし、その全てを手に負える訳じゃないしね。分かるだろ?」
ストゥワートケネディの今後の活躍に期待したい。
参照元stabmag.com
翻訳 Yoichi Kurokawa
アスリートの為の特別な転職【スポナビキャリア】