「私は知りません」が当たり前!?オージー社会の変なトコ
何か問題が起きた時などに「私は知りません」って言ってしまうと、日本の社会なら間違いなく上司からお説教である。
ぼくも若いころは何度も先輩や上司から言われ続けてきたので、たとえ自分がその場にいなくても、
「それはぼくの責任でもあります。申し訳ございませんでした。」ということに慣れているし、当たり前だとも思っている。
これ、日本の社会では常識で疑問に思うことなくみんながそうしている。
ぼくもそうだった。
しかーし、オーストラリアでは。
「I dont Know (私は知りません)」と言う奴が非常に多いのだ。
とゆうか自分がその場にいなかったり、見ていなかったりすれば、それに同じ職場でも自分に関係のないカテゴリーだったりすると、0.1秒で「アイドンノウ」と言ってのけるのである。
さらに付け加えると、下手に責任感を感じて他人が犯したミスや問題に首を突っ込もうもんなら、「じゃああなたが責任をとるんだね!」となるので、誰も
「この件に関しましてはわたくしの責任であります」みたいな事をしないのだ。
例えばぼくの職場。
休み明けのヘッドシェフが「おい!こんなソースいつ誰が作ったんだバカ野郎が!」と怒り出したとする。
日本人感覚で言うと、
「すいません。ぼくもその場にいたんですが間違いに気づきませんでした。ちゃんと彼が作ってるのを見ておくべきでした。以後気を付けます。」とゆうのが正解かな。
けど最近のぼくはオージー社会に感化され始めているので、
「昨日は確かにぼくも働いてたけど、そのソースの事は知りませんよ。見てません。」で済ますようにしている。
じゃないとぼくまで悪くなってしまうからだ。
最初の頃は一歩前へ出て「人の分まで尻拭いします」なんてことをやってたけど、する必要が全くなかった。
連帯責任を負うとゆう行為は美徳とみなされることはなく、
「わざわざマイナスの評価を増やしていくあほな奴」
って受け止められるのだ。
最初はめちゃくちゃ戸惑い、そんな態度のワークメイトたちに苛立ちさえも覚えた。
しかし、自分もそうなってみると意外と仕事に対してストレスを感じることがなくなってきて楽になったのだ。
たぶん個人の頑張りが、協調性よりも評価される社会とゆうのは、こうゆうことでもあるんやろうね。
バリバリ日本で働いてる人からしたら「お前は無責任なんだよ!」と言われるのは簡単に想像できるけどね(笑)
最後にこれのマイナス面を挙げるとすれば、それは「人は助けてくれない」とゆうこと。
当たり前である。
他人の為に自己犠牲を払わないのだから、他人が助けてくれるはずもあるまい。
どっちがいいのか分からないが、少なくとも余計なストレスを受けないためには「いや、俺は知らんで。見てへんわ。」で済ましてみるのもいいかもしれない。
コメント
コメントを投稿