【海外生活あるある】オーストラリアに住んで16年目に突入。いつからローカルになるべきか考えてみた。




豪州生活の節目


10月14日は、ぼくがオーストラリアにやってきた記念すべき日である。

2002年10月14日にぼくはブリスベン空港に降り立ち、それから飽きることのないオーストラリアでのサーフィンライフが始まったのだ。

これまでの15年間は楽しくて刺激的で、辛いことが無かったと言えばウソになるが、思い出はどれも楽しかったことばかりである。

ぼくのそばにはいつも奥さんがいてくれて、2歳半と5歳半の娘たちが騒がしい程にぼくたちの周りを走り回っている。

女はどうしてこんなにもしゃべっているのか?とたまに頭が痛くなる時もあるが、これがぼくの幸せなんだと思うと、その度に心が温かく居られている。

そして多くはないが、いつも近くにいてくれる友人たちは、(もちろん大阪の幼馴染たちのこともいつも思ってるよ)こんなぼくでも大切にしてくれて、楽しい時間を共有しあっている。

仕事は現地企業で働きながら、外国人(自分が外国人になるから西洋人か?)たちと接する毎日を楽しみ、常に新しいチャレンジを目標に置いて頑張らせて頂いている。



さてこんなオーストラリア生活を送っているのだが、いつからぼくは現地人になるべきなのかを最近考えるようになった。

日本人以外と接する機会の多い毎日なのだが、いつもこんな質問が投げかけられる。

どのくらいオーストラリアにいるの?

相手が外国人だと(ヨーロッパもアジアもアフリカも)へぇ長いんだねと言われ、その後の会話へと続くのだが、相手がオージーだとちょっと雰囲気が違うんだよね。

とくにサーフィンが好きなオージーは日本にも興味があり、人も文化も含めて日本が大好きだって言ってくれる人が多い。

ぼくが日本人だって分かると、どこから来たの?大阪?知ってるよ行ったことあるもんってな感じで、日本人と出会えて嬉しいとゆう態度を示してくれるのだ。





さらに、ここにはどのくらいいるの?他の州にはもう行ったの?などと、一時的に滞在していると思い込まれて話が進んでいくことが多いのだが、そこでぼくがここに16年も住んでいると話すと、みんな同じようにガッカリした態度になるのだ。

なんだじゃあローカルなんだね。君もオージーじゃん

数年前までは、自分が現地人であるかのような扱いを受けるのが心地いいいと思ってたのだが、今ぼくは日本人として扱われたいなって思うようになって来た。

実質、長い年数オーストラリアに住んでいるのでゆくゆくは市民権を取るつもりなのだが(これは申請中)、そうなってもやはりぼくは日本の大阪からやってきた日本人とゆうことを前提に、ここでの生活を送ろうかなって思うのだ。

だってそうじゃないと、オージーたちがガッカリしちゃうんだもん。


いつまでも豪州在住で!いつまでも日本人で!



それにここで何年生活を送っていても、ぼくが日本人であることには変わりないんだし、やはり日本の文化などを伝えたり、日本とこの国の違いをスラスラと話してあげたりしたほうがいいんじゃないかなってね。

そういえば最初は「日本の文化をオージーたちに紹介してあげたい」とゆうような橋渡し的な存在を目指してる時もあったなぁなんてのを今思い出した。

なのでこれからは「ここには長く住んでるからぼくもオージーだよ」なんて言わないで、「日本人です。大阪から来ました。このゴールドコーストは素晴らしい街ですね。できればいつまでも住んでいたいなって思ってます。」みたいなところから会話を始めようかなって思っている。

いつからローカルになるべきか考えてみた結果、とりあえずもうしばらくは日本からやってきた大阪人でやっていくと決めた。

大阪人だがブログは標準語? これはまぁちょっと痛いなぁくらいで知らんぷりしとってなぁ。



コメント

このブログの人気の投稿

せっかくゴールドコーストに住んでるんで、タトゥーを入れてみた。

【DHDサーフボード】これこそが究極の小波用ハイパフォーマンスボード。DHDの3DXはズバリ、「楽して波乗りを楽しめるボード」

これまでで最高に良かったサーフボードはDHD