【関西で波乗り】2001年の夏。ヒザ波の磯ノ浦で、ぼくはサーフィンデビューした
サーフィンデビューの日
あの瞬間は忘れられない。
2001年7月15日日曜日、和歌山県の磯ノ浦でぼくは人生初のサーフィンをした。
お昼に少し休憩を取っただけで、朝の7時から夕方4時ごろまでずーっと海の中に入っていたとゆうハードスケジュールをなんとかこなし、なんとその日のうちにボードの上に立つとゆう快挙を成し遂げたのだ。
イソコまで連れて行ってくれて、最初の1分だけはしっかりレクチャーしてくれた先輩の具志堅さんから言われた言葉、
クロ(黒川なんで)は初日で立てるなんて素質あるで
とゆうのを真に受け、しまいにはサーフィンライフを送りたくてオーストラリアに住み着き、それをこれまでずーっと続けているとゆうのだ。
後日談では具志堅さん自身はこれを言ったことを覚えてないらしいが、ぼくにとってはサーフィンを教えてくれた恩人である。
だってあの時サーフィンを始めてなかったら、オーストラリアに来ることもなかったかもしれない。
サーフィンライフとゆう素晴らしい人生を送り始めた、記念すべき瞬間だった。
20歳頃から、ぼくは家にこもってネットばっかりするネットサーファーだった。
ネットサーフィンからサーフィンへ転身のきっかけになったのは、かっこいいパンクロックが流れるハワイのサーフィンビデオを見たのが最初だった。
何で自分がそれを見たかったのか分からないが、当時はまだ主流だったVHSのサーフィンビデオをヤフーオークションで手に入れてから、ぼくは一人で毎晩狂ったように繰り返し見て、波乗りの世界に引き込まれていったのだった。
あのビデオで流れてた音楽を聴くと、今でもはっきりと映像が目に浮かぶほどよく覚えている。
しかしその時はぼくの周りに全くサーファーがいなくて、サーフィンに関するリアルな情報が全然なく、その後もしばらくはネットサーフィンから抜け出せなくて悶々とした日々を送っていたのだった。
仕事帰りのある夜ふと立ち寄ったのは、豊中桜塚にあったショットバーD-zone
そこでサーファーの店長、具志堅さんと出会ったのだ。
すぐに仲良くしてもらい、何度もお店に足を運んでお酒を飲みながらサーフィンの話を聞いてるうちに、ますます海に行きたいとゆう思いが強くなったのだった。
しかし海に連れて行ってくれる約束まではこぎつけたものの、その後数ヶ月経っても波のリズムと仕事の休みが合わずに、なかなか海に行く事ができない状態が続いていた。
初めてのサーフィンを経験するまでに結構時間がかかっていたのだが、やはりどうしてもサーフィンとゆうものを実際にこの目で見たくなって、4月のまだ冬の寒さが抜けきってない日に当時の彼女に運転してもらい(訳アリの免取中だったのだ)、磯ノ浦までサーフィンを見に行った事がある。
冷たい風が吹きつける寒いビーチに座り、海から上がってくるサーファーを憧れの眼差しでガン見していたのだが、実はその時にサーフボードを見たのが初めてだったのだ(笑)
気持ちが先行してて、サーフボードや他のギアのことはまったく考えてなかったとゆう。
ちなみに同じ年の6月1日にやっと、豊中にあるサーフプロジェクトで23000円でビラボンのウェットを買ったのだが、それがぼくの人生において初めてのサーフ用品購入とゆう記念すべき日だった。
7月のあの日の磯ノ浦はとてもいい天気で、ぼくの気分は最高に上がっていた。
波のサイズはヒザとゆう、初心者なコンディション。
いつもビデオで見てたハワイの波とはかなり違うなって思ってたんだけど、なによりサーフィンができる事が嬉しくてたまらなかった。
磯ノ浦はいつもそうなんだけど、この日も海の中は大混雑。パドルしてると隣の人に腕が当たってしまうことが何度もあった。
今思えばさざ波だったのだが、やってくる小さなうねり全てにみんなエキサイトしていて、ひとつの波を10人くらいで一斉に取り合いしているとゆうカオス状態だった。
周りのサーファーを見ているとみんなちゃんと乗ってるのに、ぼくはボードの上に立つことが出来なかった。なかなか波に乗れなかったので少し飽きそうにもなってきていたし、慣れない海の中とゆうことで体は疲れきっていた。
時間も夕方に近づき、もうそろそろ具志堅さんからの「帰るぞ」ってゆうコールがかかりそうだなって思ってた頃、まだ波に乗れてないぼくは完全にあせり始めた。
だって200本、いや300本くらいの波にパドルしたのに、まだ一回も立ててなかったからだ。
そしてついにその瞬間が来たのだった。
初めて波に乗ったときの事は、今でもはっきりと覚えている。
ぼくが力いっぱい全力でパドルをすると、急にボードがハイスピードで走り始め、なんとゆうかボードが波に食いついてるようなかんじだった。
そして反射的に立ち上がった。
これが記念すべき初テイクオフの瞬間だったのだ!!
そこで見た光景は、いまでも目にはっきり焼きついている。
波の上をすーっと滑っているぼくを、周りにいる200人から300人のサーファーたちが一斉に見上げていたのだ、それがめちゃくちゃ気分良かったのだ。
そしてやっと達成できたテイクオフに興奮しまくりで、それまでの疲れも一瞬でふっとんだのだった。
具志堅さんの姿を少しはなれた右のインサイド付近で見かけ、転んだ後すぐに「乗れました!!!」って叫んだら、ガッツポーズを返してくれた。
その時からぼくの体と心は波に乗るのがとても楽しいと思うようになり、いつでも海に行きたくて仕方がないようになってしまったのだった。
毎日でも海に入って海のそばで暮らし、いつまでもサーファーでいたい!
この情熱を大阪に住みながらでは、燃やし続けるのが難しかった。
そしてついには毎日サーフィンできる自由な環境を探し始めるようになって、この後ぼくのオーストラリアでの本格的なサーフィンライフに繋がっていったのだった。
永遠に続く。
【今一番観なきゃならないサーフィンDVD】
この映画はレジェンドサーファーの川井幹雄さんが70年代に製作した伝説の映画『ストーンブレイク』。
4月に発売されたばかりのこのリメイク版は『ストーンブレイクドリームス』という名で新たにリリースされた。
ついにぼくも観ました。ぼくもミッキーさんたちのように素敵に年齢を重ねていき、いつまでも波乗りを楽しんでいきたいなって思わされたサーフムービー。
かなりおススメです!!
【今一番読まれているサーファーの本】
このブログで紹介してからも、たくさんの方が購入されてるよー。
カリフォルニア在住のプロサーファー鍼灸師、南秀史郎さんのマーヴェリックに挑戦するライフスタイルから、挑戦し続ける人生とはどうゆう事なのかを教えてくれる良書。
リリース当初からずっと、衰えることない人気が続いてるんだよ。
夢に挑む人生を送りたい人!必見です!
海を知る前はネットサーファー
20歳頃から、ぼくは家にこもってネットばっかりするネットサーファーだった。
ネットサーフィンからサーフィンへ転身のきっかけになったのは、かっこいいパンクロックが流れるハワイのサーフィンビデオを見たのが最初だった。
何で自分がそれを見たかったのか分からないが、当時はまだ主流だったVHSのサーフィンビデオをヤフーオークションで手に入れてから、ぼくは一人で毎晩狂ったように繰り返し見て、波乗りの世界に引き込まれていったのだった。
あのビデオで流れてた音楽を聴くと、今でもはっきりと映像が目に浮かぶほどよく覚えている。
しかしその時はぼくの周りに全くサーファーがいなくて、サーフィンに関するリアルな情報が全然なく、その後もしばらくはネットサーフィンから抜け出せなくて悶々とした日々を送っていたのだった。
リアルサーファー具志堅さんとの出会いはD-zone
仕事帰りのある夜ふと立ち寄ったのは、豊中桜塚にあったショットバーD-zone
そこでサーファーの店長、具志堅さんと出会ったのだ。
すぐに仲良くしてもらい、何度もお店に足を運んでお酒を飲みながらサーフィンの話を聞いてるうちに、ますます海に行きたいとゆう思いが強くなったのだった。
しかし海に連れて行ってくれる約束まではこぎつけたものの、その後数ヶ月経っても波のリズムと仕事の休みが合わずに、なかなか海に行く事ができない状態が続いていた。
初めてサーフボードを見た時
初めてのサーフィンを経験するまでに結構時間がかかっていたのだが、やはりどうしてもサーフィンとゆうものを実際にこの目で見たくなって、4月のまだ冬の寒さが抜けきってない日に当時の彼女に運転してもらい(訳アリの免取中だったのだ)、磯ノ浦までサーフィンを見に行った事がある。
冷たい風が吹きつける寒いビーチに座り、海から上がってくるサーファーを憧れの眼差しでガン見していたのだが、実はその時にサーフボードを見たのが初めてだったのだ(笑)
気持ちが先行してて、サーフボードや他のギアのことはまったく考えてなかったとゆう。
ちなみに同じ年の6月1日にやっと、豊中にあるサーフプロジェクトで23000円でビラボンのウェットを買ったのだが、それがぼくの人生において初めてのサーフ用品購入とゆう記念すべき日だった。
夢中で波を追いかけていた
7月のあの日の磯ノ浦はとてもいい天気で、ぼくの気分は最高に上がっていた。
波のサイズはヒザとゆう、初心者なコンディション。
いつもビデオで見てたハワイの波とはかなり違うなって思ってたんだけど、なによりサーフィンができる事が嬉しくてたまらなかった。
磯ノ浦はいつもそうなんだけど、この日も海の中は大混雑。パドルしてると隣の人に腕が当たってしまうことが何度もあった。
今思えばさざ波だったのだが、やってくる小さなうねり全てにみんなエキサイトしていて、ひとつの波を10人くらいで一斉に取り合いしているとゆうカオス状態だった。
周りのサーファーを見ているとみんなちゃんと乗ってるのに、ぼくはボードの上に立つことが出来なかった。なかなか波に乗れなかったので少し飽きそうにもなってきていたし、慣れない海の中とゆうことで体は疲れきっていた。
時間も夕方に近づき、もうそろそろ具志堅さんからの「帰るぞ」ってゆうコールがかかりそうだなって思ってた頃、まだ波に乗れてないぼくは完全にあせり始めた。
だって200本、いや300本くらいの波にパドルしたのに、まだ一回も立ててなかったからだ。
ぼくがサーファーになった忘れられない瞬間
そしてついにその瞬間が来たのだった。
初めて波に乗ったときの事は、今でもはっきりと覚えている。
ぼくが力いっぱい全力でパドルをすると、急にボードがハイスピードで走り始め、なんとゆうかボードが波に食いついてるようなかんじだった。
そして反射的に立ち上がった。
これが記念すべき初テイクオフの瞬間だったのだ!!
そこで見た光景は、いまでも目にはっきり焼きついている。
波の上をすーっと滑っているぼくを、周りにいる200人から300人のサーファーたちが一斉に見上げていたのだ、それがめちゃくちゃ気分良かったのだ。
そしてやっと達成できたテイクオフに興奮しまくりで、それまでの疲れも一瞬でふっとんだのだった。
具志堅さんの姿を少しはなれた右のインサイド付近で見かけ、転んだ後すぐに「乗れました!!!」って叫んだら、ガッツポーズを返してくれた。
その時からぼくの体と心は波に乗るのがとても楽しいと思うようになり、いつでも海に行きたくて仕方がないようになってしまったのだった。
何が何でもサーフィンしたい!
毎日でも海に入って海のそばで暮らし、いつまでもサーファーでいたい!
この情熱を大阪に住みながらでは、燃やし続けるのが難しかった。
そしてついには毎日サーフィンできる自由な環境を探し始めるようになって、この後ぼくのオーストラリアでの本格的なサーフィンライフに繋がっていったのだった。
永遠に続く。
【今一番観なきゃならないサーフィンDVD】
この映画はレジェンドサーファーの川井幹雄さんが70年代に製作した伝説の映画『ストーンブレイク』。
4月に発売されたばかりのこのリメイク版は『ストーンブレイクドリームス』という名で新たにリリースされた。
ついにぼくも観ました。ぼくもミッキーさんたちのように素敵に年齢を重ねていき、いつまでも波乗りを楽しんでいきたいなって思わされたサーフムービー。
かなりおススメです!!
【今一番読まれているサーファーの本】
このブログで紹介してからも、たくさんの方が購入されてるよー。
カリフォルニア在住のプロサーファー鍼灸師、南秀史郎さんのマーヴェリックに挑戦するライフスタイルから、挑戦し続ける人生とはどうゆう事なのかを教えてくれる良書。
リリース当初からずっと、衰えることない人気が続いてるんだよ。
夢に挑む人生を送りたい人!必見です!